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娘へ。成人の日に寄せて

今日は成人の日でしたね。
わたしの娘も今年20歳になります。早生まれなので誕生日は来月。地元にいれば、昨日は自治体主催の「成人の集い」に参加できたのですが、冬休みも終わり本州の大学はこれから試験という流れ。普段通りに課題をして過ごしたようです。

夜、娘からLINEがあり、久しぶりにゆっくり話をしました。

「成人ってどういうことだと思う?」と急に訊かれ、咄嗟に出たのは「責任を取ることかなぁ」。

20歳。まだまだ子供なのに、20歳になったから色々なことが解禁になる年。
昨日までは「未成年」として、世間から守られていた存在が、今日からは大人ですよ、と世間に認められる。言葉を変えると放り出される。
何をどうしたら大人ですか、ということを教わることなく、社会では大人として見られるのは、自分の時もだけど不思議な氣持ちがします。

まぁ実際に社会人になれば、嫌でも自覚がでてくるのですが。
娘に訊かれて、自分という存在に責任を取らなければならないのが、成人になるということではないか、と思ったのです。

ちなみに娘は、「成人とは、大人になりたい、ではなく、大人になること」という話を最近何かで聴き、なるほどと思ったそう。

なっちゃったからにはもう、ねぇ。

このシーン、親子で(息子と)しばらくブームでした。


20年も生きてきてよく頑張ったね、という想い。と同時に、まだ20年しか生きてないのに、責任が生じるのかぁ、という想いも。

昔の成人と現代の成人。何が違うって、寿命が延びたおかげで、昔より働く期間も延び、生じる責任もそれだけ長く重くなったんじゃないかなぁ。

戦前から戦後まもなくは、定年を迎えてまもなく人生を終えた人が大半でした。
今や22歳で就職したとしても、70歳過ぎまで普通に働く時代。下手すれば後期高齢者でもバイトしたりしています。
老後は縁側で夫婦でお茶飲んで、なんて時代ではなくなっていました。

それでも、わたしは成人おめでとうといいたい。
世間の荒波は厳しさを増しているかもしれないけれど、あなたをきっと成長させてもくれるから。

まだまだいっぱい悩むし落ち込むだろうし、失敗もすると思う。
どんどんやっていけばいい。人生は長い、失敗すればするだけ経験になる。

娘は今年こんなチャレンジをしたい、ということも話してくれました。
そのいくつかはもしかするとうまくいかなかったり、できなかったり、あるいは失敗するかもしれない。
やらないよりはやった方がいいし、手をつけただけでも一歩前進。

それは誰もが、いくつになっても同じ。
だって今日は、残りの人生の最初の日。
躊躇している間に、人生は終わりに近づいている。

やらずに終わるわけにいかないではないか。

そう、自分にも言って聞かせてる今日の母なのでありました。


成人の日を迎えたみなさん、おめでとうございます。
あなたの未来が素晴らしく、満たされることを。
そして小さなチャレンジの連続に、心からエールを送ります!

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