修繕を繰り返したその様には、美しい情念が宿る。それはまるで、「呪い」のようで、「祈り」でもある。
「誰か 助けて」 手を伸ばしても 虚しく 宙を切る
学生時代、軽音部繋がりで知り合った他大学の女の子が言っていた。
「私は一番美しい姿で、一番美しい人生の瞬間で死にたい」
「カートもシドも、最高の瞬間で死ねたから、人から思い出されるのはカッコイイ姿」
「かたやピストルズのボーカルはあんなにカッコよかったのに、今じゃ太って、バラエティーなんかに出ちゃって」
「醜くなった姿なんか思い出して欲しくない」
何故、あんなに生き急いでいたんだろう、何故、あんなに死にたがっていたんだろう。
何故、変わることを、あんなに恐れていたんだろう。
十代の頃と、今の自分。
今改めて考えると、「変わること」は「失うこと」のように捉えていたんだろうなと、思う。
*失う たび 心は 割れて 絶えず 探してる 僕の 欠片
こんなに時が流れても 僕の時間は 止まったままさ
*僕を殺す世界へ−時しもあれ
今、その女の子は生きていて、結婚もして、子供さんも産んで、そんな台詞を決めていたのも忘れて幸せそうにしている。
*振り返るのは 昨日までの 何気ない 日常
消せない傷も 解せない痛みも 憶えているのは 僕らの心
この前、ようやくスタジオに入れました。
前回のスタジオからなんと5年の歳月が経っていた。
しかも直前に恵一さんの子供さんがコロナに罹ってしまって、急遽、晃二朗くんと二人で入ることになってしまったんだけど。
でも、5年の時間を感じなかったんだ。この前のスタジオの続き、そんな感覚で。
臨月、未来へ、抹消のベースフレーズ、アレンジを考えたんだ。
自分自身、時間を感じなかったことが、すごく嬉しかった。
ここまで、バンドから離れてるとさ、やっぱり不安になる。
ふと、今から動いてどうするの?とか、色々無駄じゃない?とか、しんどさとか、そんなところに心が向かっていくと、「もういいんじゃない?僕を殺す世界へを終わらせても。」って考えがよぎる。
そんな思いが、スタジオ入って、ハイワットをキャビに繋いで、ケーブルをボードに繋いで、テネシアンに繋いで、アンプの電源入れて、真空管を温めて、スタンバイスイッチを入れるまでの間にボーカルマイクの位置整えて、準備万端で、最初の一音目を解き放つまで、めちゃくちゃ渦巻いてた。
良かった。消えてくれた。そんな思い。
醜くても、汚くても、僕は僕を殺す世界への音楽を紡いで、奏でたい。そんなふうに、心から思えた。
「呪い」は消えた。諦めない。何回だってやり直す。
「星の壊れる」ような轟「音」の中、「祈り」のような「歌声」が木霊する。
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