拝啓、愛しの狂犬クッキーへ
狂犬クッキー、君は私を見るとすぐに威嚇する。
こんな話をすると「デリカシーがない!」と怒られるが、宮崎県門川町という場所にあるチワワ専門のブリーダーから8万円という値段で引き取った。こいつの父親はなんか凄いコンテストで賞を取った、血統書付きの、なんか凄いチワワらしい。
誰からか
「ペットショップに行ったら何十万円になりますよ!」
と言われたのを覚えている。よく分からないけど、これから飼う犬が褒められた気がして普通に嬉しかった。当時は。
ここまで、少しクッキーの生まれについて話したが、現在はもう13歳。長い時間を共にして、いま、このチワワに伝えたいことがある。
クッキー、君はまだ中学1年生、老犬なんて言った奴、分かってない。まだまだバブちゃんだ。
この間、近所を散歩しているとき、知らないおばさんに話しかけられた
「この子かわいいわね、まだ赤ちゃん?」
「いえ、13歳です」
「あら、もうすぐね…私の子も13歳で死んだの」
「あはは、そうですか」
そんなの分かっている。犬の寿命が15年くらいだったことや、クッキーの未来がそんなに長くないことも分かっている。
最近、親もよく「クッキーはもうおじいちゃんだから」と言う。昼寝の後、筋肉が固まり、首が曲がったまま歩き始めることもある。
でもクッキーは白内障で白くなった目を私に向け、一生懸命「おやつちょうだい」と訴えてくる。「クッキーお散歩!」といえば尻尾を振って喜んでいる。
だから私だけは「クッキーはまだ中学一年生」と言い続ける。クッキーはまだまだ成長する。抱っこが嫌いなところも、散歩中にマンホールの上を歩けないところも。だめでしょ、すぐに人を噛んだら!
1歳の頃、庭で遊ばせていたら、隙間からよく脱走して、近所からお届けものとして運ばれてくることが何度もあった。庭の柵だが、木を何枚か重ねたものから、網に変わった。犬は何故隙間から外に出たがるのだろうか。本能?
2歳の頃、肝臓の手術をして3日間入院したことがあった。3日も会えないという事実に絶望した。悲しかった。生きて帰ってきた時、違う犬なんじゃないかと何度も足の白い毛を確認した。ちゃんと同じ犬だった。
同じ頃、クッキーは近所のりんちゃんというミニチュアダックスに恋をしていた。一度りんちゃんが200㍍先にいて、私がリードをつける前にクッキーが道路に飛び出してしまった事があった。しかも丁度車が出てきてしまった。でも、クッキーはりんちゃんしか見ていない。しかし車より早いスピードでりんちゃんの元へ走っていき、無事車に轢かれず済んだ事もあった。愛には熱い男だ。とはいえ、あれはヒヤヒヤした。
3歳の頃、クッキーは初めて飛行機に乗り、金沢へ行った。宮崎空港(当時私は宮崎に住んでいた)の2階で、荷物センターに預けた。その時「クーン、クーン」と鳴いていた。また後で会えるからね涙、と言い聞かせても鳴き止まない。手続きを終え、別れた。私はとりあえず親戚に宮崎土産を買おうと3階に進んだ。しかし、なんと「ぎゃーわーん!!!!ウォーーーーン!ギュァァャァァン!」と犬の声が聞こえた。そう、離れてからもクッキーは叫び続けた。「なんという狂犬だ!」圧巻だった。いや、正直恥ずかしかった。空港の人ごめんなさい。
5歳の頃、足を脱臼して痛がっていたな。動物病院で、この子は脱臼しやすいですね、と言われた。当時中学生の私は、脱臼という難しい単語を覚えたのが嬉しくて、クラスの友達みんなに「脱臼」の意味を教えていた。今はもう忘れた。関節かなんかが外れるんだっけ?
9歳の頃、「いるか」というハムスターを飼っていた頃、クンクンクンクン嗅いでいた。食う気だったのかな。
10歳の頃、親戚の家に泊まったらストレスで背中の毛がいっぱい禿げたことがあった。もう二度と生えてこないかと思った。またフサフサになって安心した。
昔は全身の茶毛に黒い毛が混じっていたけど、成長するにつれ、クリーム色、白、となっていき、今では白っぽい茶色になった。
たくさんの思い出がある。
これからも思い出を作る。まだまだ生きてもらう。
私が小学校で虐められて泣きながら帰ったとき、ペロペロ舐めてくれるかと思ったら「しつこい!」とでも言わんばかりに唸られたのを思い出した。
私は昔、家に帰ると何かに叫んでいた。興奮すると息ができなくなり、見えない恐怖を払拭するように声を出す。今もたまに記憶が飛ぶほどに親は怒鳴ってしまう事がある。クッキーはそんな私に威嚇をした。その度に涙で顔がぐちゃぐちゃになる。部屋で壁に頭を何度も何度も打ちつけた。私の中に何か恐ろしいものが侵食している気がして、それを殺そうとしていた。孤独だった。いや、そう思っていた。でも、クッキーは私の横に座ってくれた。クッキーがいると、これ以上「このちっこい犬」を怖がらせてはいけない、と落ち着いた。私はクッキーを守らなきゃいけない、こんな事に負けてはいけない、と思えた。
どんどん老犬になっていく姿を、認められない飼い主をクッキーはどう思うのだろうか。クッキーは日本語を話さないからわからない。逆に私が犬語を話さない方が問題だが。
美しい思い出は特にない。普通のペットだと思う。たまに体調を崩したけど、何か大きな事件もなく普通の犬生だと思う。
私はそんな普通を、クッキーの短い人生に捧げられそうな気がする。確かに「それ」はもうすぐだとは思う。でもその最期まで、クッキーを「老犬」と呼ぶ人へ威嚇して生きていく。