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累犯障害者-獄の中の不条理
「累犯障害者-獄の中の不条理-」、題名を見てわたしは単純に、「障害者は犯罪を繰り返してしまう、刑務所の中は大変だ」という内容だろうと思い込んで読み始めました。
この思い込みは、この本を読む前の私が“障害者の犯罪の実体”を何も知らず、犯罪だけが一人歩きしているものだと思って出てきたものです。
けれど、実際は、福祉と行政も絡んで、「次から次に犯罪に結びついてしまう障害者たち-塀の内と外での不条理-」との意味を込めた内容であるとすぐに気づかされ、考えさせられることばかりでした。
そして、この一冊を読んだことで、障害者の表にはなかなか出ない社会問題を知ることができたと思います。
まず、序章で、「自由も尊厳もない刑務所が一番暮らしやすかった。」とありました。
自由も尊厳もない刑務所のことを「一番暮らしやすかった。」とは、成人をとっくに過ぎた人間が言う言葉なのでしょうか。
私は、筆者が言うように「塀の外はそんなにも過酷なのか」と思いました。しかし実際に、犯罪に結びついてしまう障害者にとって塀の外は、普段衣食住に困らない私にはほとんど結びつかない劣悪な現実の話ばかりでした。
より劣悪な生活環境の中で生活保護も受けられず、「放火イコール刑務所」という手段しか思いつかなかった知的障害者に、適切な対応もできない裁判が行われる。
そして、福祉施設の代替施設となった刑務所に戻される。
まさに、悪循環が行われていました。
刑務所自体が、何のためにあるのかさえわからない状態だと思いました。
そんな中で私の頭に浮かんでくるのは、わけもわからないままたらいまわしにされる、犯罪者となってしまった障害者の当事者です。
この本を読んでわかるように、このような悪循環の中で一番に当事者の内面を見ることが大切だと思いました。
当事者の内面を見る行政の目と、差し伸べる福祉の手は絶対に当事者をたらいまわしにしてはいけないと思いました。
私自身、ほんの少しだけれど障害者の福祉の現場に関わってみて、福祉の大変さを人手不足という点だけでも感じます。一方、福祉を受ける側として考えてみて十分な支援といえるのだろうかと不安になります。
さらに、もし、障害当事者が家族の温かい目と、福祉の支援に見放されたらどうなってしまうのか、と考えると本当に恐ろしいことだと思いました。
(2010)