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当初感じていた障害者に対する自身の差別・偏見。疑問・無知


 私がこのテーマにしたきっかけは、部活を辞め、目標が見つからず、ただ「何かやりたいな」という感覚の中で、たまたま前からやってみたかったボランティアに参加したことがある。参加の目的は、自分が何かの役に立てると思ったこと。その思いは、偽善なのか。実際に私の中でボランティアの対象者である障害者に優越感があったのかもしれない。参加する前は、「何もできない、かわいそう」な印象で障害者を意識し、いわゆる「障害者ではない“私”」が助けてあげようという思いがあった。正直な思いであるがこれは差別や偏見ではないだろうか。そうした思いや感覚は、私のようにそれまで障害者に関わることのない人にはよく共通していることのように思う。目的のない自分の居場所に、自分より弱い立場でありそうな対象を選んだことになる。それは、確かに親切心を装った偽善かもしれない。
 しかし、今は、ボランティアが偽善であるとは思うことはない。ボランティアは偽善の道具ではない。参加してみて初めて、自分がボランティアという“空間”に居場所を与えてもらえたこと、対象者である障害者と共に笑い合える場であること、「ありがとう」と言ってもらえる場であることを知った。対象者とは、障害者ではなくボランティアとして参加するスタッフ側の私たちではないかと思うこともある。どちらかに偏ることなく、共に活動する人々の“間”にボランティアがあると私は定義したい。ボランティアが社会福祉の精神からきていることから、以下「社会福祉原論」から参照。
・ 社会福祉という理念は、「人間ひとりでは生きられない」という、そういう弱さ、寂しさから出発している。その自分の弱さを知っている人にとって社会福祉は必要である。みんな実は弱いはず。・・病気になったりケガをしたり、最後は死ぬ・・・。自分は完全でないことを知っているから。
・ 「安心して生きる権利」「その人が自由に生きる権利」。一人ひとりが、自分に自信を持って生きられる。「自信を持って」というのは、「自分が好きになる」ということ。人権の保障というのは「人が自由に、安心して、そしてより自由に自信を持って生きられる」ことを保障していくこと。社会福祉、社会保障というのは、そういう社会をつくるための、生活支援の施策全体をいう。
・ 「障害者」は介助者にささえられながら、介助者をささえている。介助者は「障害者」をささえながら、「障害者」にささえられている。人の手を借りることはその人をささえることになるのだ。
(「社会福祉言論」  )
「人間ひとりでは生きられない」というのは、本当に弱さや寂しさなのだろうか。私はそのことについてはごく当たり前のことであるはずであると考える。弱さを知る、完全でないことを知るという以前に誰でも当たり前にひとりで生まれてくるわけでもなく、ひとりで生活をしていることもない。そんななかで、なぜ「障害者」が社会的弱者にさらされるのか考えてみると、社会全体が「人間ひとりでは生きていけない」という当たり前を見過ごすまたは無視しているためと思われる。
 人権の保障というのは、そもそも人権が損害されていることに基づいている。自分に自信が持てないのは「当たり前」を超越している社会で「人間ひとりではいきていけない」以外の何かを求められているからではないか。「障害者」においては「人の手を借りること」が「ひとりで生きていけないこと」として捉えられ、弱い立場と生きていくことを強制されている。そういった立場の違いではなく、支えあいについて考える。
 そして参照の中で私は「人の手を借りることはその人をささえることになるのだ。」という言葉に感動した。私自身もいろいろな福祉に関わる活動をしてみて気づいたのだが、「障害者」(福祉を必要としている人)に、介助者は「手をさしのべる」のではなく「手をさしのべられている」のだ。「障害者」がいるからこそ、介助者の働く場が与えられ、充実感を味わうことができる。「障害者」を中心とした大きな輪のなかに介助者は包まれていくのである。一方的な介助者中心の考えでなく、支えあうという立場に立つ。介助者が活躍するのと同時に、「障害者」は「手をさしのべる」活躍をしているのだということがある。
 私の場合、偽善者になるつもりで参加したボランティアで自分の無力さを知り、ボランティア活動の有難さを知った。無力感には、私でなくても代わりになる人物はいるということがある。それでもボランティアに参加する意味は自分が何かを与えるのではなく、何かを得ることができるからではないか。それは、人との出会いであったり、居場所の存在であったり、感謝の気持ちである。社会福祉の活動という名目の裏にはそのようなたくさんのことが隠れていた。
 
<差別・偏見>
それまで、私自身が思い描いていた障害者に対する意識には「差別」や「偏見」といったことに偏っていたと振り返る。そして、そうした思いを差別・偏見かどうか意識するかしないかには、今後、「障害」というものの価値観を考えるにあたり大きな違いとなる。そのため、まずは、「差別」「偏見」の内容や定義を考える。
【差別】
1 差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「_意識」
2 区別すること。けじめ。「大小の_がある」
【差別語】
特定の人を不当に低く扱ったり蔑視したりする意味合いを含む語。
(広辞苑)
 ここでは①の差をつけるということに注目する。障害者だからといって強者と弱者のように立場を分けて考えることは、正当な理由のない差別である。本当に強者と弱者に分ける必要がないのかについては後の章で触れることにする。普段、「障害者」に対して「何もできない、かわいそう」といった思いが少しでもあるのなら、私の障害者に対する印象が「誰もが同じように同じ立場である」と変わったように、個人の考えを改めるべきであると私は主張したい。
 「差別語」については、診断名においても変化がある。「痴呆症」を「認知症」、「精神遅滞」を「発達障害」や「学習障害」などと名称を変えてきた。呼び方によって印象が変わり、差別につながる場合も多かった。また、「障害者」という言葉にも、「健常者」と対比して区別をするような風潮があるところに危惧する。「障害者」とは、何らかの社会的・身体的障害を持った人であって、「健常者」となんら変わらない個人なのである。しかし、広辞苑によると、【健常者】(障害者に対して)障害がなく健康な人とあり障害と対比している点が残念である。それでは「健康」とは何なのか。【健康】(health)身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。また、病気の有無に関する、体の状態。〈薩摩辞書〉「_に注意する」「_に過ごす」「_な考え」である。この語彙からすると「障害者」は一生健康ではないという捉え方となる。しかし、障害者は障害を持った人であり、不健康ではない。障害があっても毎日を健康的に過ごすことはできる。障害を抱えていても、その個人が障害を抱える個人として存在している限り、毎日を健康的に過ごす権利がある。そういったことから、普段何気なく使う言葉に対しても悪意の有無に関係なく、見直す必要を感じる。「健常者」という言葉の意味について私は、「心身の障害に関わらず健康な状態を保つ人」と私は定義する。そう定義したとき初めて全ての人に共通して「健康に注意する」「健康に過ごす」といった言葉が使えるようになるのではないだろうか。ここでは、健常者と障害者は対比することはできない。
アフリカは、名詞クラスのあるバントゥー語では、障害者をあらわす名詞を動物や無生物の名詞クラスに分類することで、彼らを人間扱いしないということを文法的に明示することができる。そのため障害者をあらわす名詞を人間の名詞クラスに分類しなおすべきだという運動が起こっている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%B7%AE%E5%88%A5)
 
 上記の例は、文化や国民性の違いも浮き彫りとなるが、明らかな障害者差別である。
 
障害者差別とは、障害が外見的なものであろうとなかろうと、それによって人権や生存権が損なわれ、その人の人生にとって後遺症となりうるような経験を障害者本人の意図とは無関係に強いられるもの、具体的には障害者に対する暴力や名誉棄損、不妊手術の強要などから、障害を理由として社会参加等が制限されるような制度的或は運用上の差別及び排除・具体的には隔離から欠格条項等による就学・就職差別、介護放棄などをいう。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%B7%AE%E5%88%A5)
以下、障害者差別について各国の歴史がある。
 スウェーデンでは、1960年に「優勢」を理由としり不妊手術が行われたのを皮切りに、1915年には、優生学的理由から「精神遅滞、精神病、てんかん」者の結婚の規制が行われた。
アメリカでは1870年から1914年まで、人口の6分の1の移民流出などによる人種の「変質」の危惧が言われており、「変質」に対抗する優生学は社会衛生運動の一部とみなされた事、ナチのアーリア系優越思想にも通じる優秀な北欧人種の伝説があったと言われている。他、ロマの人々、性犯罪者も「社会防衛」の観点から断種手術の対象となったという。 この政策は、不妊法が改正され同意のない不妊手術が一切禁止される1975年まで続けられていた。
デンマークでは1967年まで、フィンランドでは1970年まで、やはり精神障害者・てんかん者に対する強制不妊手術、強制去勢が行なわれていた事が確認されている。
ナチス・ドイツでは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが、ユダヤ人や政治犯、同性愛者と同様、障害者も強制収容所に隔離し、「最終決着をつけようとした」。
日本においては、2007年7月に千葉県で障害者差別をなくすための条例が成立した。
 
これらは、障害者差別の歴史のほんの一部である。世界的にみても世界大戦や産業革命によって、労働力・生産性が重視され、障害者が排除されるという歴史が共通している。現在でもそういった思想が残っているのが現状である。私は、これからの社会において生産力の回復のための障害者の活躍・回復を期待する。すでに、この文中で「障害者」という言葉を使っていることに関しては、「何らかの障害を持った人」という意味で使っていきたい。活躍・回復の期待については、よく障害者層の底上げといった意味に捉えられることになるが、そうではなく障害者個人の問題として、社会でいかに障害者の力を生かすことができるのか、社会側からの歩み寄りの問題として考える。その問題を考えるにあたり、「差別」という問題が多く残っていることを指摘したい。
 
【偏見】
かたよった見解。中正でない意見。「_を持つ」       (広辞苑)
 障害者差別は、「障害者」を蔑視したために起こる。かたよった見解である。私たちは、差別の内容を認識することが重要である。偏見というものに固執することなく障害者という存在を知ることは、差別や偏見の排除につながると考えられる。
 身近な問題でいえば、障害者ではない個人(仮定)からみると、その個人の成長過程において障害者との関わりは学校などの違いによってほとんどない。クラスメイトであれば知り得る生活の様子や性格などの情報もないため、たとえば街で車椅子に乗った同じ歳の子に会っても友達になる機会は少ない。学校など生活環境の違いによって、障害をもった個人との関わりが乏しい。情報が少ないために、その後「障害者」という存在を知るときにカテゴリー化されたものに頼ることになる。「障害者」などのカテゴリーには偏見があることを危惧する。その偏見が差別につながっていくことを意識する必要がある。
差別という出来事を初めから“否定すべきこと”としてのみ解釈するのではない。“差別の日常”を今、私たちが暮らさざるを得ないとすれば、それを逆に自らの暮らしに役立つよう、他の人々との日常的な繫がりをより充実したものにするうえで、積極的に利用できないだろうか。
(「差別原論」p. )
好井2008によると、差別を考えることが差別を“意味なきもの”にしていく原点であり“ちから”であるという。差別や偏見について考えていないのが以前の私である。ボランティアや障害者に関わるようになり初めて、今までのカテゴリー化された思い込みによる差別に気づくこととなった。この気づきによって自らのほぼ無意識の差別・偏見を意識し、自覚的になることで改善するよう努めるようになる。

(2010)

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