好きな言葉を集めていて気づいたこと。
好きな言葉を集めて記事を書いてみる。
私がnoteで表現してみたいことの1つです。
自分の好きについて語ってみることで、
好きな気持ちを再認識したり、
誰かの好きを見つけるきっかけになるかもしれない。
そんなふうに考えたからです。
矢沢あい先生原作のNANAから。
登場人物の1人、ヤスの言葉。
マスコミに囲まれたNANAを守るために言った一言。
※ここでは物語には触れません。
NANAってだいぶ前の作品なんですけど
矢沢あい先生の世界観が好きで、
連載当時は単行本も持っていました。
久々に作品に触れると当時の自分を思い出します。
そして今、
当時とは別の視点で、この言葉を捉えています。
最近の私は当時の自分以上に、
この言葉に共感しかないです。
私は普段からテレビをつけない生活を送っています。
理由は特定の誰かに対して
バッシングを仕向けるような表現を見たくないから。
バッシングのターゲットになっている人に原因が多い時はあるとは思うんです。だけどそれ以上に、コメンテーターの解釈が過剰な時があると私は感じています。
過剰な表現はイジメを彷彿とさせるから、
見ていて心が苦しくなる。
情報は情報として受け止めたいし、ネガティブキャンペーンに扇動されることなく心穏やかに日々を過ごしたいというのが私の本音。
NANAのヤスの言葉が好きで記事にしようとネットで調べていたら、こんな文章を見つけました。
ただそれをやる。
シンプルだけど、とても深い言葉。
この言葉を自分の生活に落とし込んでみた時に、”使命”という言葉を使うと、ちょっと大袈裟かもしれないから、”役割”という言葉に置き換えてみよう。
たとえば自分の役割が仕事ならば、まず仕事が完遂することに意識をむけてみる。それでも周りが気になるってことは、何か原因があるはず。
仕事柄多くの人と接しているんですけど、たまに誰かの足を引っ張ることに時間を割いている人を見かけることがあります。
だけどその人が気になっている私が居るということは、私自身が役割に夢中になれていないということ。
人とのかかわりは勿論、大切。
周りの人がいて自分がいるのだから。
困っている人がいたら可能な限り協力はしたいし、
手を差し伸べたいと思う。
だからまずは自らの行いに夢中になって、
自分の花を咲かせてから周りに還元できる人でありたい。
この言葉で、改めて気付かされました。
この気付きを忘れてしまわないうちに、
未来の自分に対して言葉を残しておきます。
言葉には力がある。
綺麗事かもしれないけれど、
誰かの役に立ったり、温かい気持ちになれるような
言葉の使い方をしていくのが私の理想。
これからも好きな言葉を集めにいこうと思います。
今回の記事はここまで。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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