【着物コラム】着物はなぜ「めんどくさい」のか
こんにちは、着物コーディネーターさとです。
昨年くらいから中国のTwitter、WeiboやYoutubeに着付けの動画をアップしているのですが、
Weiboで特に多いのが「めんどくさ!」「なんだこれ!」というコメントです。笑
私は「着物ってこういうもの」と思っているのですが、
確かに、知識がゼロの人から見たら難解な服ですよね。
着るためだけに多くの小物が必要だし…
「昔の着付けはもっとラフだったのよ~」
というお話を私に聞かせてくださったのは、スタイリストの岩田ちえ子さん。
昨年、文京区の弥生美術館で行われた企画展「アンティーク着物万華鏡」が記憶に新しいです。
書籍があるのでご紹介させていただきますね。
こういう「ザ・大正ロマン!」なイラストや当時の写真を見ると、
現代みたいな「着物だからちゃんとしなきゃ」という姿勢が全く無いですよね。笑
「ちゃんとしなきゃダメ」になったのはいつ頃からか
歴史を見ていると、現在の着物の形が大体出来上がったのは、
庶民文化が発達した江戸時代のようです。
参考サイト:風俗博物館
江戸時代の浮世絵とかを見ていても、庶民の服装はかなりラフですよね。
これって、この時代の着物=日常着だからなんですが、
「ちゃんとしなきゃ」=日常着ではないと考えると、
やっぱり第二次世界大戦の後に変化があったと考えるのが妥当なように思えます。
戦争は娯楽・服飾などにド直結に影響するので、それまで作られていた贅沢な着物は作られなくなりますよね。
戦争が終わったからと言ってすぐに経済状況や生活が変わるわけもないので、徐々に回復→着物の変わりに洋服が普及したのでしょう。
(あくまで私の予測です)
1945年に終戦、6年後の1951年に貞明皇后の崩御。
詳細は私には分かりませんが、
この時代は「自粛ムード」だったんじゃないのかなぁと予測します。
60年代には普段着としてウールの着物が登場しますが、10年ほどで生産されなくなったようです。
一時期の「ブーム」に終わってしまったんでしょうね。
ちなみに、
ウールの着物はリサイクル着物店で一部取り扱いがありますし、
僅少ながら今も生産はされているようです。
この時代で、日常着の着物はほぼゼロになったのだと思います。
日常着ではなくなった着物は、礼装として売り出されます。
(性格にはウール着物と同時進行で売り出されていたと思いますが。)
「着物 売り上げ 推移」等で検索すると、売り上げのグラフがたくさん出てくるのですが、
着物の売り上げのピークは1980年代。その後はどんどん下降していきます。
「10年かけて礼装の着物もある程度行き渡った」のでしょう。
「着物だからちゃんとしなきゃ」の精神は、この頃に出来上がったと考えるのが自然だと思います。
普段着の着物はもう残っていない
「普段着の着物」として人気のある木綿の着物などを見ていても、
通販サイトの写真は「シワの全くない着付け」、呉服屋さんのカタログなども同じですよね。
本当の意味での普段着の着物ってもう残ってないからだと思います。
私も着物で炊事や洗濯は殆どしません。住宅事情から考えても、洋服の方が便利です。
着物で炊事洗濯をする方も勿論いらっしゃるとは思いますが、人口の比率で考えたらすごく珍しいですよね。
着付けを工夫したらできるのですが…
個人の感覚ですが「できない事はない」けど、洋服よりは圧倒的に動きにくいな、と思います。笑
70~80年代の呉服産業の礼装寄りのマーケティングがなければ、
もしかしたら着物は姿形すらも残っていなかったかもしれないですね。
記事の信憑性はちょっと不安だなぁと個人的には思うのですが、笑
mag.japaaan.comの記事で明治時代の市民の写真があったのでご紹介します。
本当の意味での普段着は残っていない、とさきほど述べましたが、
マジの普段着ってこれだと思うんですよね…笑
私も着物で出かけた時には、便宜上「普段着」とは言いますが、
あくまで「お出かけ着」くらいの感じです。
誰にも会わない日のダル着も、
着物以外に選択肢がなかったらこうなるかもしれないけど、現代の事情にはあんまり合ってないですしね。
「着物ってめんどくさい」って多くの人が思っているだろうし、それは事実だとも思います。
が、ソレって実は
「めんどくさくない着物」が残っていないだけなんですよね。
そもそも選択肢が存在していないのに「めんどくさい」だけ排除しようとすると、「じゃあ着物じゃなくていいよね」に繋がってしまうと思います。
着付けの簡略化に対して取り組んでいるメーカーも多いように思いますが、
「めんどくささ」を楽しむ方向に進まないと、
着物のこれ以上の普及はないのではないか?と私は思います。