【着物コラム】可哀想な戦時中の女性の服ではない「もんぺ」を取り戻したい話
こんにちは、着物コーディネーターさとです。
先日、日本漢服社の皆さんと漢服&もんぺ姿で登山をする
というなかなか稀有な体験をしました。
その際に「意外と普通だね」とか「ニンジャみたい!」と、
中国のお友達が言ってくれました。
正直、私の周辺ではこういうリアクションが少なかったので、
嬉しかったです♪
当日のコーディネートはこんな感じでした。
もんぺにVANSのスニーカーです。いいでしょ!笑
もんぺに合わせた着物は、祖母の嫁入り道具だったそうです。
祖母自身は着用機会がなかったそうなんですが、孫が着倒しています…
さてさて、私の個人的な経験なのですが、
もんぺを履きたい!という話をした時に、会話の相手に
「え?もんぺなんか履くの?」というリアクションをされた事があります。
よくよく話を聞くと、やっぱり
もんぺ=戦時中の女性の服
というイメージがあるんですよね。このイメージ、私も持っていました。
でも、もんぺって国防服になる前は作業着=野良着だったんですよ。
私の夫の実家は愛媛県なのですが、
地域にもよりますが、愛媛って空襲被害が少ないんですが、
そのせいもあるのか(?)、
もんぺ=戦時中っていうイメージの人が関東より少ない印象です。
しかも、もんぺ姿で農作業をする女性、まだいるんですよね。
のどかな畑や海、もんぺ姿で作業をするおばあちゃん。
日常の風景の中にあるもんぺを見たとき、
私の中の「もんぺ=戦争」のイメージがガラガラと崩れていきました。
えっ、なにこれ、可愛いじゃん!って。
次に帰省した時、私も愛媛でもんぺを履きました。笑
もんぺ自体は結構入手できるのですが、
最近のもんぺってウエストがゴムで、ダボダボのズボンなんですよね。
なので、中古品で古式ゆかしいもんぺを探しました。
形状は袴とちょっと似てます。
両サイドに切り込みがあって、紐でウエストに縛り付けてします。
でも、これをやってみてもう一つ感じました。
やっぱり、桐下駄って作業用じゃない!
「それじゃ寒いから」と貸していただいた半纏。
しっくり来すぎでは…笑
現代の着物の世界のルールでは、
・礼装=草履
・小紋以下のカジュアルな着物や浴衣=下駄
が定着しているように思います。
でも、実は桐下駄って高級品なんですよね。
浅草の履物店、辻屋本店の女将さんのお話を思い出しました。
農作業には、素足にワラジが最適だ…!
愛媛でもんぺを履く前に、「山形風俗モンペー姿」という、
大正時代〜昭和初期くらいの、山形県のPR用ポストカードの存在を知りました。
多分、ガチの作業用のもんぺは帯をしないと思うのですが、
すごく可愛いから「山形風俗モンペー姿」の真似をしたんです。
最近、実物の入手に成功しました!
(著作権保持者はもういないはずなので、掲載します)
少し前にこんな記事も見つけました。
写真特集 戦時下の「衣服」 節約、代替の中にも見える工夫とおしゃれ(2008年8月掲載)
こちらは戦時中の風俗の一部としてもんぺを紹介しています。
物資不足で着物をリメイクしたもんぺを履いた少女の写真も印象的です。
私は埼玉出身なのですが、戦争経験者の女性達から
「手持ちの着物でハデなもんぺを作って、ささやかな抵抗をした」
という武勇伝を何回か聞きました。
アニメ映画「この世界の片隅に」にも、着物でもんぺを作るシーンがありますよね。
「もんぺ=戦争の服」という認識は確かに一部正しいと思います。
でも、もしも戦後教育の影響で、
生活の一部としてて着している「もんぺ」が失われたのだとしたら
それってすごく勿体無い気がするんですよね。
戦争によって、粗末な衣服である「もんぺ」が女性達に押し付けられた!
という解説も、私が子供の頃には結構聞いた気がします。
まぁ、事実なのだと思いますけどね…
それによって、元々の姿を知らないまま、
「もんぺ」のイメージが形成されていく人も多かったんじゃないでしょうか。
以前こんな記事も書いたのですが、
本当の意味での「普段着」としての着物は、もう存在していないと私は思っています。
せいぜい「お洒落着」ですよね。
着付けやドレスコードもかなり礼装に特化していますし、
普段着の着物が必要な局面もほぼありません。
当たり前の事だとも思います。
戦争の前後の色々によって、形が変わってしまったものって、
きっと「もんぺ」以外にもたくさんあるんだろうな、と最近よく考えるようになりました。
私は「普段着のもんぺ」を、もう一度普段着として取り戻したいな、と思います。
なぜなら可愛いと思うからです。