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【着物コラム】SNSのプロフィールに「着物初心者です」「着物●年目です」って書いてしまう現象について


こんにちは、着物コーディネーターさとです。

TwitterなどのSNSを見ていると、
着物を愛好する人達にちょいちょい見かける文言があります。
「着物初心者です」「着物●年目です」
という表記です。
なんだか学校の学年みたいだなぁ、と私は思っています。
でも、私も「着物初心者です」って名乗っていたかもしれないなぁ。

今日はこの「着物を好きになってどれくらいなのか」
を年数表記するのが自己紹介として定着している事について、
少し掘り下げて考えてみようと思います。

※念のために先に言っておきますが、
私はこれらの行為について「ダメだ」とか「改めるべき」って
思っているわけではないですよ!


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着物の社会的ポジションの現状とSNS


過去の記事でも何回かこの話をかいているのですが、
私は着物の現状って
・人生で何回も着る機会がない、めっちゃフォーマルな服
・カルチャースクールの科目(教養としたの側面がある)

の2点だと思っています。


過去のコラムでも書いたのですが、
現代日本において「普段着の着物」と定義されている着物って、
本当の意味では「普段着」ではなく、
「普段着として着用する趣味の意味が強い贅沢品」
という位置づけなんですね。
着付けのルールや季節のアレコレも、
礼服や習い事のユニフォームとしての着物のルールが適用されるのが一般的だと思います。

「何年生です」と学年をいいたくなる理由って、
多分このへんに起因しているんだろうな、と私は感じます。
各個人の感覚としては趣味の領域でも、
他者から見たら教養としたの意味もある

というのを感じ取った上で、年数を自称しているんじゃないのかな?
って事です。

もちろん、最近ではすっかりTwitterをはじめとしたSNSに定着してしまった
「着物警察」と呼ばれる人々への対策という意味もあると思います。
「着物初心者です」と自ら初心者マークをつけるのって、
「初心者なのでお手柔らかにお願いします」の意味だと思うんですよね。

私個人的には、着物警察と呼ばれる人達=他人との距離感が分からない変な人で、
着物(自分の思い描く正しい日本文化)を大義名分に掲げて個人攻撃を行っているだけなので、
殴ってOKだと思うんですけどね。
(勿論、物理的にではなくて対応の比喩として)


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もちろん、これは私の考えであって真実ではないかもしれないし、
自称する人達の気持ちも1種類ではなく、
各個人で色々な気持ちがあると思います。

ただ一つ言える事実は、
「着物が好きです」の一言で済む自己紹介に、
本来自由で良いはずのSNSにまで
色々な事情から、まるで学校のような「学年制」を持ち込む人が意外に多いという事。
これは誰か個人のせいではなくて、
「同調圧」みたいな見えない圧のせいなんじゃないのかな?
という事です。

私は好きな物を好きでいる事に学年制は不要だと思います。
好きです!って誰かが書いた事に対して、
「学年制」などを持ち込む感覚や、
好きだという気持ちの方向性や度合いの違いがある事って、
各個人で差があるのが当たり前だと思うんですよ。

それを受け止められない人って、単純に精神的に未熟だと思いますし、
好きなものを「これが好き!」と自称するのを、
その人達のために謹んでいるのだとしたら、とても寂しくて悲しい事だと私は思います。

私は着物が好きです。
好きになった年数と好きである気持ちは無関係だと思うし、
どのくらい好きだとか、どんな風に着るのが好きだとか、
そういうのは1人ひとり違うのが当たり前だと思うんです。



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