読書ノート 24 ともぐい

新しい次元を開いた孤独な猟師の物語
 「清浄島」など詳細な現地踏査と鋭い観察で良質な作品を発表してきた作家が、野生動物と孤独な猟師との濃厚な格闘を描き切った。
 全国でクマが山里から人里へと姿を現し、農場や牧場を荒らし、地域住民にも危害が及ぶにつれ、適切な対応が急がれている。クマが棲む山野の環境変化、旧耕作地や果樹園の放棄、住民の退去に伴う廃屋の発生など、複雑な要因が蔦のように絡まっている。専門家や研究者が原因と対策を唱えるものの、対応の遅れは否めない。
 作者の河碕明子は自らも牧場を経営し、クマや鹿などの獣害を経験しているだけに、対処の方針は明確である。「人に危害を及ぼすようであれば、人の生命と財産を守るために駆除もためらうべきではない。」大方の同意が得られるのではなかろうか。根強い動物愛護主義者や団体を除き。

雪原を染める深紅の血
 村田銃により仕留められた牡鹿の鮮血が雪原を染める。北海道東部白糠町の山野、一日で最も冷え込む朝まだき。氷点下30度にもなろうかという厳寒。たった1発の銃弾により、頭部に枝角をいだいた成獣がどっと雪原に倒れ込む。猟師の「熊爪」の研ぎ澄まされた射撃により、弾丸は心臓に的中し、鹿は苦しむことを免れ昇天する。
 銃を構え。一呼吸、二呼吸、吸って吐いて、吸って吐いての熊爪の息づかいがこちらにも伝わり、呼吸と血流が同期する。圧巻だ。
 そのあとの熊爪の行動や動作も無駄がない。尻から頸部に小刀で腹部を切り裂き、内臓を攫え出し、間髪を入れず血を出し切る。まるで舞台を見るようだ。あとは各部位を一塊づつ切り分け、これを包んでリュックに詰める。
最後に毛皮でくるんだ骨格を前足を両肩に掛けて独り暮らしの小屋まで運ぶ。
 山野に棲む生き物と山中に暮らす人間との緊迫した対決の余韻が残る。

独り暮らしを選んだわけ
 熊爪はなぜ人里離れた山野で独り暮らしを選んだのか。いくつか理由があるようだが、一つは育ての親(故人)の考え方に従っているところが大きいように思われる。この親も人と交わらず、山野で動物たちと同じ空気を吸い、同じ水を飲み、日の出前に起き、日没とともに寝た。わたる風を肌で感じ、降る雨露を樹木や簡素な小屋でしのぎ、葉叢から漏れる日の光に目を細め、囀る野鳥の声に平穏や危険を聞き取ってきた。狩るのはクマや鹿などの大型動物ばかりではない。ウサギ、リス、ネズミも罠や弓で仕留める。熊爪はこの流儀を踏襲したようだ。「変えることは好きではない。変わらなくてもよい。」彼の信条である。
 二つ目は人との交わりによって生じる煩わしさを免れたいという我儘勝手。ただし傍若無人では決してない。山中で暮らし、水浴びはするものの風呂にも入らず、頭髪も髭もほとんど手入れしない。それにクマや鹿や犬の毛皮をまとい藁沓を履けば、外観は異様な身なりとなり、人は避けるようになる。その違和感が分かるだけに不要な交わりを回避する。それが習い性になり、人流を避けるようになる。それでも会ってくれるのは商家の旦那と娼館の女。商家は差し出す肉や内臓の対価として金を出し、娼館の女は熊爪の獣じみた性欲を蔑みながらも対価として金を要求する。どちらも遣り取りは煩わしい。
 敢えて三つ目を挙げるとすれば、飼い犬の存在と自然に教わった天然薬品、病理の知識か。犬は狩猟には絶対欠かせない。問題は良犬をいかに仕付けるか。良犬の条件は二つ。主人の命令には絶対服従、主人以外の命には決して従わない、この二つだ。熊爪の犬はこの条件を満たし、熊爪を数度にわたり救ったのである。もう一つの薬草やミネラルから抽出し、調整した薬とそれが利く外傷や臓器の不調、解熱も熊爪の薬篭に取り揃えられており、どれほど窮地を救ったか計り知れない。強運と言うには十分に系統だっており、文字には綴られていないが、医師も一目置くほどの知識である。

馬鹿な猟師が目覚めさせた「穴持たず」
 思わぬ難敵が道東阿寒湖方面からやってきた。どうやら冬眠で体力を温存すべき期間でも巣穴を作らず、餌を求めて山中を歩き回る危険なクマだ。
その名は猟師仲間では「穴持たず」と呼ばれ、見つけ次第駆除することが不文律になっている。この度の穴持たずは、阿寒湖方面の猟師が仕損じて、手負いとなっており、凶暴さが倍加している様子。阿寒方面での難を逃れたものの、そこでの縄張りには見切りをつけて、白糠まで移って来たのだ。しかし白糠にはここで生まれ育った3歳の雄クマがおり、縄張りを易々と明け渡すはづがない。こちらの熊は毛が赤味がかっていることから、地元では「赤毛」と呼ばれている。「穴持たず」と「赤毛」の対決。物語は中盤の山場を迎える。
 熊爪は「穴持たず」の射殺を優先させた。熊爪の小屋のすぐ傍にあるミズナラの巨木の幹に爪を立て、縄張り宣言した穴持たずは、熊爪に挑戦状を叩き付けたようなものだ。熊爪は笹や藪や灌木を掻き分け、慎重に穴持たずの臭いを辿って近づく。ついにその姿を視野に捕らえると、峡谷の反対斜面を駆け上る敵に照準を合わせ連射する。少なくても1発は敵を捕らえてようだが、急所は外れたらしい。
 そのとき異変が起きた。なんと穴持たずの上に赤毛が圧し掛かるように組み伏せ、2頭が一体となって峡谷を落下してきたのだ。この呷りを喰らった熊爪は崖下に叩き落とされ、激痛に襲われ、記憶が遠のく。闇夜のような睡魔と戦いながら、身体を少しづつ動かし、自分の可動範囲を確認。どうやら骨盤に損傷が生じたようだ。このとき愛犬が動いた。主人を見舞ったただならない怪我を一刻も早く病院に知らせるために、白糠の町まで全力疾走したのだ。半歩づつ、一歩づつ、重傷を負った熊爪が小屋に向けて歩を進める。
小屋にたどり着くと待っていたのは面識がある町医者。早速病院まで移送し検査と診断、全治半年ほどの骨盤骨折と神経の切断。時間をかけて治癒を待つしかない。
 根腐れを起こすような退屈な日々が続く。しかしそれは赤毛との対決への準備期間でもあった。穴持たずは赤毛によって生命を奪われ、天下は赤毛のもとにある。

赤毛との対決
 熊爪の闘志は復活した。一方の赤毛はけだもの(化者)であり、化け物(化者)であった。白糠の山中に敵なし。秋の味覚は独り占め。ヤマブドウもサルナシの実も口にできるのは赤毛だけ。他の動物たちは息を潜めてやり過ごしている。鳥たちさえ声を潜める。熊爪は自然の摂理には共感するが、独占は肌合いが合わない。化者退治は性に適っている。やるしかない。
 ついに化者との対決が訪れた。銃口を向けたその先に赤毛の黒い両眼が熊爪を睨んでいる。少し赤みを帯び、怒りを込めた目には赤毛の内奥が写し出されている。真っ黒な目には深い闇と憎しみが張り付いている。
 熊爪の乱射が始まった。2丁の銃の一本は前回の戦いで銃身が曲げられたので、この日は旧い村田銃のみで対決。弾丸の装填にも時間がかかるが致し方ない。根気よく狙い澄ましながら打つ。数を稼ぐ。一発で倒れるほど敵はヤワではない。しかし化者と恐れられても命は大地に還っていく運命にある。
 熊爪の勝利も決して晴れやかなものではない。自然の摂理に従ったまでだ。武術で相手に対する敬意をいだくように、いまは赤毛の健闘を称えるべきだ。それが熊爪の思いである。魂の交感さえ感じ取れそうである。

とも喰い、ともぐい
 赤毛を倒した熊爪は白糠の町に出かけ、出入りの商店の主人から、養女を譲り受ける。この養女は幼い時の事故で失明しているが、片方の眼は視力を残しているようである。養女は主人の子を宿しており、それも承知の上で熊爪は引き取る。小屋での不便な暮らしにあまり苦情を口にすることはなかったが、熊爪とのまぐわいは出産まで拒み続けた。熊爪は体よく焦らされたのである。
 出産後は晴れて解禁。満を持しての性交は「とも喰い」の様相を帯びる。男は女の股間に深く分け入り、女はこれを自らの体内奥部に導き入れ、女は喘ぎ、よがり、歓喜の喚き声を発し、男は怒張した一物で尽きまくり、最後は雄たけびをもって果てる。男と女がともに喰らい、一体化することにより始原の本能に火が付き、燃え盛る。野生の動物と同じ理が繰り広げられる。
 とも喰いはほどなく次のともぐいに移る。女が突然、男を無きものにしようと小刀で男の首を衝き切るのだ。男は一瞬ためらいを見せたものの、従容としてこれを受け入れる。女には男の子が宿されている。やがて2人の子どもを抱えてた生活が待っている。しかし女はこの道を選ぶ。女は住み慣れた小屋を去り、町に向かう。動物との魂の交感はあったが、女とは最後までともぐいだった。善意に解釈すれば、すでに行き場を失い、生きる目標を見失った男に、引導を渡し、神のもとに送ったとも言えようか。

自然描写の美しさ
 この作品は描かれた自然にも目を開かせてくれる。いくつか列挙しよう。
 まず日の出と日の入り。早朝未明から日の出までの空。宵の明星が夜の名残をとどめているが、空は群青、藍、青、茜と朝の到来を予告する。日の入りでは赤紫を西の上空に残しながら、地平線との端は金色に燃える。地球上のあらゆるところでその誕生以来一日たりとも欠かさず繰り返されてきたドラマである。
 次いで樹木や草花。広葉樹のミズナラやカエデやシラカバ、針葉樹のマツ。広葉樹は季節の移ろいとともに色彩が変化する。一方のマツは冬でも緑を絶やすことなく大地の生き物たちに春への歩みを伝える。花も雪解けとともに芽吹き、春にはミズバショウ、フキノトウ、タラが花をつける。春にはアイヌネギ(行者ニンニク)、秋にはキノコが山野からの贈りものとなる。季節の花々が蜂や蝶を集め、小さな生命を次世代へと繋ぐ。
 そして野鳥たち。シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヤマゲラ、トビ、ワシなど、野鳥公園のような贅沢さ。自然愛好家たちの垂涎の的となること請け合いだ。

データ:作者は河碕秋子、1979年北海道別海町生まれ。本作品は2023年度直木賞受賞作品。出版は2023年11月、新潮社から。295ページ。
朝日新聞書評欄「好書好日」に記載されたノンフィクション作家・稲泉連の書評「自然と人 交錯の果てにある魂」(2024年1月6日)を参照しました。
作家の小池真理子の短評を記します。「獣のように生き、まぐわい、死を受け入れる。荘厳な命の滴りを描き尽くした傑作」(本の帯)
 

 



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