読書ノート 29 姉妹のように

記憶を風化させないための旅
 舞台はフランスのモンタルジ、ボーヌ・ラ・ロランド、そしてパリ。いずれもフランス北東部に広がる平原にあり、春にはアドニスの花が風に揺らぎ、夏にはニワトコが小さな赤い実をつけ、秋には麦が頭を垂れる。そんな長閑な地を訪れたのは作家で高校教師で、二人の子供の母親でもあるクロエ・コルマン。旅の目的はあの大戦さえなければ生きていたであろう「はとこ」に会うためだ。時代は第2次世界大戦中の10年余と、戦後60年あまりの隔たりをはさんだ最近の10年ほど。神に召された「はとこ」たちへの慰霊の旅でもあり、記憶の追記でもある。

「収容所」を転々とした「はとこ」たち
 振り出しのモンタルジと次のボーヌ・ラ・ロランドに出かける前に、はとこたちのリストを整理した。二つの家族がユダヤ人という出自もあって付き合いがあった。ピョトルクフ出身のコルマン家とワルシャワ出身のカミンスキ家である。
 コルマン家は父親のリソラ、母親のハヴァのもとにミレイユ(長女10歳)、ジャクリーヌ(次女5歳)、アンリエット(三女3歳)がいた(年齢は1942年時点)。著者はこれら3姉妹のはとこに当たる。
 もう一方のカミンスキ家には父親のマックス、母親のエリアのもとに4人の姉妹がいた。アンドレ(長女13歳)、ローズ(次女年齢?)。ジャンヌ(三女10歳)、マドレーヌ(四女、0歳)。マドレーヌは乳幼児なので乳母
役を知人に頼み、両親と3人の娘が行動をともにした。
 2つの家族ながら、6人の少女はまるで6人姉妹のように四六時中いっしょに過ごした。一見微笑ましい様相に見えるが、実際は「収容施設」を転々とするうちに離合集散が繰り返され、最後は分かれ別れになってしまう。海難事故で海に投げ出された乗客が漂流中に遠ざかり、しまいには視界から姿が消えるように。2家族の結束はそれぞれの家族の親と子の分離から始まった。親子で「収容施設」が異なるのである。子供も6人一緒が3人姉妹ごとに隔てられ、不安な昼夜を過ごすことになる。

アンドレの頑張りとレジスタンスの支え
 ドイツの支配下でフランス政府は唯々諾々の対応。さすがにフランス革命の自由・平等・博愛の精神は多くの人びとに刷り込まれており、知識人、市民、労働者、学生、宗教家が地下で抵抗運動を始めた。この活動が政府の「収容施設」にも影響を及ぼすことになった。
 不屈の精神力と運も味方につけて、2家族と6人姉妹の結束を牽引した最年長のアンドレも、どれほどレジスタンスの人びとに支えられたか計り知れない。はとこの著者と会って当時の様子を克明に再現し、地獄から煉獄を覗くような日々を振り返っている。
 しかしそのアンドレの超人的な頑張りにもかかわらず、カミンスキ家の両親、3姉妹は終戦を待たず消え去ってしまった。アンドレの悔恨と追慕は神に届くだろうか。アンドレは終戦後パリに落ち着き、再婚。住んでたアパートは著者の持ち家から指呼の距離。つい最近、末期がんで帰らぬ人となった。

記憶を風化させないために
 先の大戦は人類史に目を背けたるような残虐を残した。著者の一途な想いはこの事実を風化させないこと。記憶を繋ぎ次世代、さらに将来にわたって語り継ぐこと。アンドレが大切に保存していた形見は著者に譲り渡してくれた。それはコルマン家の長女ミレイユが残した6通の手紙である。いまコルマン家の記憶はこの手紙に凝縮されている。
 英国人の作家マーティン・エイミスの最近作「関心領域」とクロエ・コルマンの「姉妹のように」は同じ題材を扱っている。一方は海峡を挟んで英国側から、他方はフランス側から。関心領域はどちらも「ホロコースト」に至った人間の愚かしさ、おぞましさである。しかしそれでもみんながみんな手を拱いていたわけではない。レジスタンスに身を投じた人もいるし、ホロコーストから生還した人もいる。未来を照らす足跡も確認できよう。二つの作品を読み比べるのも私たち読者の務めではないだろうか。

データ:作者はクロエ・コルマン。フランスの作家。日本語訳の訳者は岩津航。出版は早川書房、2024年4月、222ページ。
本作品は日本の学生が選ぶゴンクール賞候補1位。「過去と現在が結びついた時、声なき記憶が心に届いたような感じがした」(大阪大学・田中咲子さん、読書感想文)。訳者による解説が参考になります。この作品に出会ったのは市立図書館の新刊案内で。


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