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#エクストリーム帰寮2022 体験記―前

お久しぶりです。さといもです。

11月25日の深夜から翌朝にかけて、大学の熊野寮という寮のイベントの規格の一つである、「エクストリーム帰寮」に、友人と参加してきました。このnoteでは2回に分けて、帰寮の道中を色々と書き連ねていこうと思います。かなり長文にはなるとは思いますが、覚えているうちにきちんと書いておきたいと思ったので、たくさん書かせてもらおうと思います。

1. エクストリーム帰寮とは?

 簡単に言うと、「車で送られたところから独力で熊野寮まで帰ってこなければならない」というゲーム(?)です。参加者は、寮までどの距離を歩くか(10km、30km、はたまた100kmなど)を申し込みの時に伝え、その距離に応じた適当な場所(参加者が決めることはできません)に車で送ってもらって、そこから歩いて熊野寮に帰ってくるという、地理感覚と身体の持久力が問われるものになっています。携帯の位置情報サービスや、地図アプリは基本的に使ってはいけないというのが最大のポイントでしょうか。送られる場所は、京都や滋賀の山の中など、簡単には道を見つけて帰ってくることはできないような場所。勘と方向感覚と経験をもとに、どの道を歩けばいいのかを判断して帰らなければいけないのです。

 さて、この企画は昨年も存在したのですが、私は日曜に一日バイトがあるからという理由で参加を見送っていました。今年こそは参加したいなと思っていたのですが、今年も帰寮の後の日曜日に一日バイトが入ってしまいました。ですが、出れるときに出ておかないと機会を逃してしまうと考え、距離は30㎞と少し短め(?)ではあるものの、自分の地理感覚の腕(?)の見せ所だということで、参加することになったのでした。

2.送致からルートの策定まで

帰寮は金曜日の夜から(一般的には)土曜日にかけて行われます。私のグループは有難いことに金曜日の22時(最も早い時間帯)に出発させてくれるということで、ライトや食糧等準備をし、仮眠とシャワーを済ませて、熊野寮へ。

ブレてる…


 集合して車の準備が整えば、いざ出発。運転は友人がしてくれるということで、これは面白がって絶対変なところに飛ばされると恐る恐る乗車。窓の外を見ていては送られる先がすぐにわかってしまうので、上着のフードで目元を隠して極力外を見ないようにしていると、車はどうやら市内をぐるぐるとしている模様。これでは方向感覚が狂ってどちらの方に行っているのかわからなくなってしまうという、なかなか巧みな作戦ですよ。京北の方にでも飛ばされているのかと思いながら車に乗り続けていました。酔いました。死にはしなかったけど、結構危ない状態まで来ていました。その時は少し窓の外を見ていたりはしたけれども、山の中で何もなかったのでどこにいるかは本当にわかりませんでした(が、京北ではないなということには薄々気づいていた)。

どこの自治体に飛ばされたのかは分かったぞ~

 1時間ほど車に載せられて、スタート地点に到着。車を降りるとすぐそこには、「ようこそ お茶の町宇治田原へ」と書かれているではありませんか。ガチの山の中に下ろされて、ここはどこなのか、どちらに進めばいいのか全く分からない状態は避けることができましたが、ラッキーだったのはこれだけではなかったのです。
 車には、もう少し長い距離を歩くことになるほかの友人の一行も乗っていたので、車は私たちを下ろすとすぐに闇の奥に消えてしまいました。とりえあず何か位置情報みたいなのはないかなと探していたのですが、そこにはバス停があり、その掲示をよく見てみると・・・

地図・・・?

 そう、ここから出るバスはどちらの方面に行っていて、どの方面に至るのかという情報が書かれていたのです。今いるのは「猿丸神社」というバス停で、・・・と見ていくと、どうも京阪宇治の方に出ることができるそうなのです。それでは、宇治に出られる方、つまり「維中前」のバス停の方向に向かって歩いて行こうというようになったのです。もうこれでしばらくは道に困りません。

新名神の高架橋の工事現場。存在感がものすごいですね

 暗いので、野生動物ができても存在に気づいてくれるように友人と話をしながら歩いて行きます。すると目の前には何やら大きな高架橋の工事現場が。これは調べるまでもなく(いつ開通だ?)新名神高速道路の高架橋であることが判明し、地理オタク2人はテンション爆上げ。沿道の風景を(といっても真っ暗なのですが)楽しみながら順調に歩き進めていきます。
 時刻は深夜零時前後でしたが、車通りもそこそこあり、(車に乗っている人は「なぜこんな時間に人がこんなところを歩いとるんや??」ってほぼ必ず思うのでしょうが)そこまで寂しくない道中でした。
すると・・・

情報の洪水♡♡♡

 道端に現れたのは、宇治田原町とその周辺の道路地図。本当に助かります。まず右側の全体地図で、どうやって京都まで帰るかを考え、その次に具体的に宇治田原町を脱出するルートを考えます。町を縦貫する国道沿いを歩いていたのですが、国道を道なりに進むと京田辺とかいうかなり南の方(つまり、京都市街が遠ざかる方向)に進んでしまうことになるので、私たちにとってもかなり馴染みのある宇治へと脱出し、そこからは京阪沿線をまっすぐ北上することに。そして宇治への脱出方法は、国道から宇治川の天ケ瀬ダムの方までそこそこの規模の道が通じているので、登りにはなるもののそれを伝って天ケ瀬ダムの畔まで出ようという作戦に。冒頭に、「位置情報や地図アプリは使えない」と述べたのですが、現在地も広域の地図も全部元から描かれてしまっているのでは、見てしまったからにはどうしようもありません。   
 町内にはあちこちにそのような地図が設置されており、地図を読むことを得意としている私たちにとっては、地図を読んでルートを設定しその方向に進むことはもはや朝飯前。曲がる場所さえ間違えなければ、宇治はもう目の前です。

「ねだ」と読みます

 道中には、生贄の「贄」の字が使われたなんだか物騒な地名が。ほかにも歴史的者に由来すると考えられる地名が多く、地理オタクらしく、その地名の由来はどのようなものなんだろうな、と議論するのもまた一興。どうも家康や与謝蕪村にゆかりのある土地でもあるそうな。山の中の小さな町なのに、これほど歴史に深いとはまた趣深いですね。

3. 文明の地へ

これより山に突入します

 豊富な地図に助けられて宇治田原町の中心部を脱出した私たち。天ケ瀬ダムの方向に向かって、暗く険しい(?)山の方に向かって歩いて行きます。この辺り、川がどの方向に流れているのかとかどのくらいの標高差があるのかというような情報は全く持ち得ておらず、ただただ道路標識に従っているだけだったのですが、暗い山道なのに(もちろんライトは装備していましたよ)かなり車通りが多く、しかもその車の半分くらいがいわゆる「走り屋」で、轟音を立てながらものすごいスピードで突っ込んでくるので命の危険すら感じるものでした()
 俺、滑落死でも動物に襲われるのでもなく走り屋に轢かれて逝くのか・・・?

 そのスリルを持ち合わせながら、山道をえっちらおっちら。途中明るいシェルター(ロックシェッドとでもいうのだろうか)があったりで時折休息を挟みつつも暗い山道を歩いて行くと、いつの間にかダム湖のほとりに出て、宇治田原町も脱出していました。ダム湖の南側を西に行こうと思えば、ダム湖を右に見ながら歩けばいいということで、方向を間違える心配も無し、ただ走り屋が自分の方に突っ込んできたりしないかということにだけ怯えながら歩いていました。ダムができる前の谷底の様子とかに思いを馳せる余裕すらあるほどでした。星が見えたら完璧やったのになぁ・・・()
 湖岸の様子は冒頭の写真みたいな感じです。ガチで真っ暗。その中から走り屋の轟音が聞こえてきてまもなくライトが高速でこっちの方に迫ってきて耳が潰れるような音を立てて真横をものすごいスピードで通り過ぎて行くのですから、たまったもんじゃないですわ。

 そうしているうちにいつしか天ケ瀬ダムの堰堤の横を通り(深夜帯なので、近づくことはできませんでした)、歩き進むと明るい街灯と歩道が出現。もう宇治の町は目の前ということなのでしょうか。自然と軽くなる足取り。文明の地にようやくやってきたという喜び。山の中を思ったよりも早く(3時間弱)抜けることができたという安心感。そして少しずつ溜まってくる足の疲労。様々な感情が入り混じった中、宇治の観光地エリアに突入し、私の知っている(=依然行ったことがある)場所を通り、誰もいない平等院の門とそこに通じる道を歩いて、宇治橋の畔で25分ほど休憩を取ったのでした。時刻は午前2時。踏切??いいえ。草木も眠る丑三つ時ですよ。

紫式部像と宇治橋。流石にこの時間は誰も居ません。山の方が走り屋とかそういう頭の悪そうな人たちがたくさんいたのが予想外でした

 前編の記事はここまでにします。距離的・時間的には全然半分にもきていないのですが、内容的(+心理的?)にはおそらく半分でキリのいい所なので。それでは続きは後編にて。

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