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#エクストリーム帰寮2023 体験記―前

さといもです。投稿間隔が1か月強というのはかなり珍しいですね(爆)

というわけで今年も、大学の熊野寮という寮のイベントの企画の一つである「エクストリーム帰寮」に参加してきました。このnoteでは2回に分けて、帰寮の道中を色々と書き連ねていこうと思います。かなり長文にはなるとは思いますが、覚えているうちにきちんと書いておきたいと思ったので、たくさん書かせてもらおうと思います。(ここ去年のやつのコピペ。ちょっと探したら読めるけど、今年のEX帰寮とは色々違うので…)


1. (一部再掲)エクストリーム帰寮とは?

 簡単に言うと、「車で送られたところから独力で熊野寮まで帰ってこなければならない」というゲーム(?)です。参加者は、寮までどの距離を歩くか(10km、30km、はたまた100kmなど)を申し込みの時に伝え、その距離に応じた適当な場所(参加者が決めることはできません)に車で送ってもらって、そこから歩いて熊野寮に帰ってくるという、地理感覚と身体の持久力が問われるものになっています。携帯の位置情報サービスや、地図アプリは基本的に使ってはいけないというのが最大のポイントでしょうか。送られる場所は、京都や滋賀の山の中など、簡単には道を見つけて帰ってくることはできないような場所。勘と方向感覚と経験をもとに、どの道を歩けばいいのかを判断して帰らなければいけないのです。(ここまで昨年の再掲)

 この企画、昨年までは寮祭初日の1日のみの開催であったため、参加者が集中し運営が大変になるということから、今年は(から?)2週に分けて都合のいい方に参加してもらう、というような体制になりました。私は12月の2・3の週末は例によってバイトがあったものの、その次の週末(つまり9・10の週末)は完全フリー。昨年は翌日の予定を鑑みて30kmと控えめにしたものの、今年はもっと歩いてもいいだろう、地理感覚の腕の見せ所がより広がるだろう、ということで45kmに。かなりギリギリまで誰と参加するか迷っていたのですが、サークル等々でお世話になっている友人(以下K)と行く約束が成立し、いざエントリー。ここまでは良かったのです。

2. エントリーから送致完了まで

 エントリーを完了し、帰寮まで数日というタイミングで、Kが「(ある種の体調不良のリスクを鑑みて)帰寮参加を見送るかもしれない」という連絡が。詰み。いや一人で45kmなんて歩けるもんじゃないですよ、EX帰寮なんて心理戦ですから。まあ結局その不安は現実となり(ほんまか?)、結局Kは参加を見送ることに。単独行は色々と不味いので代役を見つけようとしましたが、予定を合わせて45km歩こうなんていう猛者なんてそう現れませんよ。というわけでEX帰寮2年目は恐怖の(?)45km単独行が決定したわけです。山でクマに襲われて死ぬ

 そして当日。早いうちにリュックにカメラや食料品等必要物を詰め込み、また45kmともなると半日ずっと歩きっぱなしということになるので、眠気に襲われないためにも十分な時間仮眠。ただこの日は体調が思わしくなくどこか熱っぽい感じ。また胃腸の調子も万全ではなく、こんな状況で帰寮をしていいのか・・・?となったのですが、熱は無く、歩いていたら何も気にならないだろう(おい)、また最悪リタイアしても責められないだろうという理由で出走することに。今回の持ち物は以下の通りです。
・食料(支給パン、チョコ、バナナ、飴、ビスケット)
・一眼、ミニゲバ
・レジャーシート(お星見、仮眠用)
・モババ
・手袋、マフラー、カイロ(防寒用。寒暖差が激しくかなり迷いましたが、結果氷点下の山の中に落とされたので活躍しました)

どこに飛ばされるかという不安よりも車酔いでダウンしないかという不安の方が先行して緊張

 さて家を出発し熊野寮へ。受付を済ませ、ドライバーの人(今回行く予定だった友人の友人、面識あり)、補佐とか言っときながらその後ドライバーと東京に行く人(K)、そして同じくらいの距離の人から180数km(!)の人まで、他に同じ車で送致される人々が集まって出発。結論から言うと、死にました。お腹の調子が良くない中で目隠しをして、どこに行くかもわからない車に乗って、(参加者を錯乱させるためか)あちこちをぐーるぐる。こりゃ酔わないわけがないですよ。(私が雰囲気で見た限り、文字情報が得られなかったが間違いなかろう)草津のPAでノックアウト。まあそこまでよく耐えたというのが事実なんでしょうがね・・・。トイレからのろのろ戻ろうとしたらKが温かいほうじ茶を買ってきてくれていました・・・愛。体に沁みる。生き返った心地でした。EX帰寮の最初にして最大の難関のこれ、どうにかならないんでしょうか・・・。
(運営の人へ)酒なんか飲んでませんよ、お腹よゎよゎで悪かったですね

 草津を出てから30分くらいでしょうか。(新名神に入っていることに薄々気づいてはいたが)車は、高速道路を降りて、気づいたら鬱蒼とした森の中に。新名神は実家から愛知への帰省の際に車で毎回通っているためそこそこの土地勘はあったので、ほぼノーマークだったとはいえほぼ耐え。そして私はその森の中で降ろされ、車は転回して闇の奥へと消えていったのでした。

ばいちゃ~

 一応どのあたりに落とされたのか周囲の電柱で確認しようとしたのですが、有益な情報は得ることができませんでした。とりあえず山を下りよう。

3. お星見と針路選択

 「星が綺麗なところに落としてください」
この日はとても天気が良かったので、山の方に落とされたら星が綺麗で「お星見」、カメラで美しい星空を撮影することができる可能性があるわけでした。持ち物に「カメラとミニゲバ」があったのはこのためですが、落とされた場所が山の中で、その場所から見上げただけでも既に美しい星空が広がっていたのです。ただ周囲が森ということもあって空が広いというわけではなく、より広い空を求めて、送致の際に車が通ってきたであろう、真っ暗で草木が生い茂る細い道を3分ほど歩くと、ありました。開けた場所が。オリオン座がある側(南側)には田んぼがあり、また木も周囲にはそこまで多くなくバッチリな撮影環境でした。ただその近くに1軒だけ民家があったので、もしかしたら「こんな時間にこんなところで一人カメラ構えて何してんだ?」って思われていたかもしれません()

ちょっと周囲を暗くしないといけないかもしれないけれど、満天の星空です

 結局45分ほどお星見で時間を溶かしてしまいました。近くに街灯があったのでピント合わせには苦労しなかったのですが、シャッタースピードの関係とか、あるいは三脚の角度の関係とかで結構手間取ってしまったのです。まあそれでも、極めつけはサムネ画像のような美しい冬の星座を撮影することができました。普段規則的な生活習慣を送っているとなかなか田舎でゆっくりお星見、はできないのですが、今回偶然にも(?)お星見ができたのはなんかの縁なんでしょうかね。知らんけど。

 とりあえず山を下りて、2車線道路に出てきました。有難いことに一定間隔で街灯があるのでライトに完全に依存しなくても耐えそうです。北側にも視界が開け、北極星の姿を確認することができました(北極星の探し方はあらかじめマスターしておいたので…)。そして坂を下りる方向、ここでは北に向かって歩いていると、ついに見つけました。飛び出し坊や。()

「甲南」・・・!神戸にも甲南という地名はありますが普通に甲賀市でしたね

(甲賀市)甲南町は北の野洲川の平野部にJR(草津線)や旧東海道が通り、真ん中に新名神高速が通り、その南側は丘陵地帯というイメージ(というか土地勘)があったので、甲南町の南側にいて、新名神は北にあるという仮定の下北上。すると(途中通行止め表示で初地図を観測)少し山道を歩いた先に、私たちの車が高速を降りたとみられる「甲南IC」がありました。ICといってもPAも併設されている場所なのですが、どうも外から一般人が入ることは可能だそうです。少なくとも深夜零時台にはどのお店もやっていないのでしょうが。甲南ICのところを歩いていると、下の写真のような甲賀市の全体図を発見。この段階では、草津線沿線に降りて沿線を西進し、草津から国道1号を行けば無難(途中にお店もたくさんあるのでいざという時に役に立つ)だと考えていました。ただ甲南~信楽の間の新名神の沿線には信楽高原鐵道の線路と国道が通っていること、信楽の街を貫流する大戸川(おおとがわ)は石山のあたりで瀬田川に注ぐ(はず)、という予備知識と実際の地図を照合させ、現実的に可能であれば新名神に沿って西進したほうがショートカットになりうるし良いのでは、と考えるようにもなりました。

やったね!これでどっちの方向に進めばどっちに出れるかが一目瞭然です

そして、帰寮全体のコースを決定した分岐点はすぐそこにありました。約4km地点。お星見終了から45分が経過していました

暗すぎて何もわかんね~~~

 この交差点。東西―南北方向の十字路です。北に行くと草津線方面に出ることはわかっていたのですが、東と西に行くとどちらの方面に出るのか全く見当がつきません。ただこの時、「草津線ルートだと超遠回りになるんじゃね??」という思考が働いたのです。新名神に沿ったルートを行くことが可能であればそれに越したことはない。無理なら遠回り、最悪適当な場所と時間でリタイア。私は賭けに出たのです。西に行くとどんどん山が深くなってきていますが、南側に新名神高速が見えるように針路を保ち続けました。
 新名神が「見える」というのも大事な要素でしたが、この時間帯の新名神は夜行バスや長距離トラックがひっきりなしに行き交う時間帯。高速道路を走る車が出す音ってかなり大きいもので、数km離れているのにもかかわらず高速道路を走る車の音はいとも簡単に「聞こえて」きます。まあ単純に私の耳がいいからなのか、冬の夜なので音が遠くまで届きやすいからなのかはわかりませんが。「こうやって日本の物流は回っているのか、にしてもトラック多すぎるからそりゃ『2024年問題』なんて言われたりするわ・・・ってか来年ぢゃん?!」
 ・・・そうこう考えているうちに歩道や街灯が消滅し、真っ暗な中を進むことになったのですが、意地で新名神を見失わないようにと(途中狭い道やかなりの急登もあったのですが)ルートを取った結果、信楽高原鐵道の横にある国道に出ることに成功したのです。これで信楽に出て大戸川沿いに針路を向ければもう迷わないはず。てか信楽高原鐵道そんな高いところ走ってんの????一回乗ったことあるけどそんな実感なかった

午前2時の踏切。草木も眠る丑三つ時。天体観測にはもってこいの天気ですね

 その国道がまた辛かった。街灯もなく真っ暗な道ですが、国道ということもあって深夜というのに交通量は決して少なくはありませんでした。ライトを掲げてアピールしているので突っ込まれることはなかったのですが、深夜2時に一人であんな真っ暗な山道を歩いていると怪しまれないはずがありません。あまりに暗すぎて、上を見上げると満天の星空。ごくたまに流れ星。横の茂みからガサガサと音がするなと思ったら、その後「ヒュイッ!」と鳴く鹿の声が。今年は熊被害が相次いでいるだけに、熊じゃなくてよかった、と毎回安堵してしまいます。何もない道をただひたすら歩いていると、EX帰寮ではおなじみ、甲賀市の信楽にいつの間にか突入していたのです。行程は10km、まだまだ先は長いです。

4. 山岳区間脱出、そして夜明け

 信楽の盆地に入ろうとすると青看板が。その青看板によると、右に曲がれば真っすぐ大津方面に行けるとのこと。そりゃ大津に行くしかないじゃないですか。左に曲がったら宇治田原ですよ。ということで、そこで右に曲がったのが苦行の始まりでした。右に曲がらなければ時間・距離の短縮は不可能だったので必然的にこうなったわけですが。信楽の盆地をショートカットし、県道16号「信楽大津線」に合流してすぐさま大戸川の河谷へ。大津とあるのですから、これに従って歩けば必ず大津に着けるということですよね。主要地方道ありがたい。ただそこからが地獄。周辺にはお店はおろか人家もほとんどなく、盆地部は田畑、盆地を抜けて河谷に入ればひたすら山という単調な光景。道としては結構高規格で安心して歩くことができるだろう、と思っていたらこれである。
「これから先 路肩狭小・縦溝区間あり 自転車・歩行者は戻れ」 
誰が戻るんですか???ここを戻ったら宇治田原経由となってしまい(のちに石山方面に出ることは可能なのですが)本格的に詰んでしまいます。何がって深夜帯ですし、交通量も本当に少なかったので強行突破。全然禁止の表示とかが無いし普通には入っちゃいますね。まあこんな単調だったので音楽を流したり。しかし本当に単調でした。単調すぎて苦行でした。

深夜3時。気温は-2℃。寒すぎ

 外の気温が氷点下にはなっていても、ヒートテックのぬくぬくの下着を着て、数時間ほぼノンストップで歩き続けているのでそこまで寒く感じません。私は天性の寒がりとして有名なのですが、ヒートテックって偉大
 街灯もところどころにはあるのですが真っ暗な場所は真っ暗。見渡したところで山と空しか見えません。何も考えずに歩いていました。ただ時々沿道の茂みでガサガサと音がするので、熊じゃないかとめちゃくちゃ警戒してしまいました。全部鹿でした。流石に熊は冬眠シーズンに入っていると信じたいのですがどうなんでしょう。途中の区間は本当に真っ暗で周囲も木しか無く、「私は何のためにこんな山の中を歩いているんだ」というような虚無の感情が湧き上がってくるではありませんか。2kmくらいそのような状態が続いていたので本当に大変でした。逆に明かりが見えてきたと思ったら電柱の工事をやっていて、こんな時間帯(深夜4時)に一人で歩いているので絶対に怪しまれると思っていたのですが、気配を消して素通りしたからか何も言われませんでした()

道中にはトンネルが。この帰寮唯一のトンネルでした。車で通るとあっという間なのに・・・

 ・・・もう一つ大事な針路決定をして、ようやく平野部に降りてきました。そこにはいきなり私を試すかのような十字路が。一方向には「大津南郷方面」と書かれていたのですが、それ以外は何も書いてありません。南郷は京滋バイパスのICもあるのですが、石山寺とかよりもかなり南の方だということは知っていたので、南郷に抜けられると遠回りになって不味いなぁ、と考えて直進を選択(後で調べたら、ちゃんと大津市街方面に抜けられる選択肢があるそうなのですが、標識もないのでリスキーでした)。道が細くなり上田上(かみたなかみ)の集落に入っていきました。新聞配達のバイクを見て朝を感じるなどしていたのですが、その道を抜けると、なんと目の前にはローソンが・・・!!帰寮初のコンビニだ!!ここで補給タイムにするぞ・・・!と思っていたら、やたらと暗いじゃないですか

現在時刻は4時57分。あと3分・・・あと3分・・・

 ・・・24時間営業ではありませんでしたが、開店ギリギリに到着したことでいわゆる開凸に成功し、トイレ休憩に成功。特に買うものもなかったしましてやイートインも無かったので、外で地面に座ってバナナとかを食べたり軽いストレッチなどをしていたのです。もっと早いタイミングで通りかかっていたら(あるいは前の十字路で南郷方面に進んでいたら)ここでも休憩はできなかったので、今年は頻尿状態にはならなかったとはいえかなり悲惨な状況だったに違いありません

 今回はちょっと面白がって、主要区間ごとの表定速度(進んだ距離/かかった時間)を計算してみたのです。すると、スタート地点~コンビニ(約25km)の表定速度はなんと5.4km/h。いや速すぎん??ずっと下り坂とかそういうわけでもなかったのに。信号もほとんどなく、平坦地では6km/h程度の歩行速度を維持できていたということなのでしょうか。まあこんな暗い山の中なんて早く抜け出してしまいたいですよ。休憩をする場所がなかったというのも大きな理由ではあるのですが、休憩無しで25km、去年歩いた距離の約8割を4時間40分。我ながら意味わからん。

 20分ほどの休憩を終えて出発。コンビニにあった地図によると、コンビニの手前の交差点は「大津信楽線」(さっきまで通ってきた道)と「平野草津線」が交わっている場所。目の前は丘陵地帯でそれを回避したいというのもあったのですが、「草津」よりも「大津」と書いてある方を通れば当然近道の可能性も上がります。ということでそっちの方に行くと、道は細くまた険しく(結局丘陵地帯に攻め入ってしまった)なってしまいますが、道路標識には「石山」や「瀬田」といった大津市東部にある地名が。この地名は駅名としてかなり馴染みがあるので、そちらの方に出ればもう怖いものはありません。少しずつ空が明るくなってきている中を歩いていくと、京滋バイパスの(瀬田東)出入口とクロス。大体の場所はわかったので、南回り、つまり遠回りとなるバイパスを回避してひたすら歩いていきました。通勤通学の人が歩いていたり、新幹線が轟音を立てて走り去っていったり、お店に商品を搬入するトラックが行き来していたりと、少しずつ人々の一日が始まっているのです。その中を前の夜から歩き通しの限界大学生が通っているのですからね・・・。

懐かしの・・・。つまりこの道は旧東海道。にしても水位が低い・・・

 そして6時40分頃、朝食休憩スポットとして(勝手に)設定していた、瀬田の唐橋に到着。2年前にも来たことがあり、そのときは(石山寺から)浜大津まで歩いて行ったので、瀬田の唐橋以降は基本歩いたことのある道を行くことになるわけなのです。ですが歩き始めて6時間半、この頃になると足の疲労が目立つようになってきました。距離的には31km強。一応45kmの2/3が経過しましたが、総歩行距離が45km以内での帰寮は厳しそうですね。コンビニ~瀬田の唐橋の表定速度は5.04km/hでした。こう見るとまだまだ大丈夫そうです。

前編の記事はここまでにします。距離的には半分過ぎてるけど、後半はかなり色々と大変だったので、この辺りがキリがいいということで。あ、距離というのは完走後に計測したものなので、歩いている途中は体感でしか把握してないです、悪しからず。それでは続きは後編にて。


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