夜遊び
※この記事は、音楽ユニットのYOASOBIさんとは一切関係はありません。
こんばんは。さといもです。
明後日をもってマクドナルドのポテトのMとLが再び、今度は1ヶ月もの間(の予定で)提供中止となるということを耳にして、三宮のマクドナルドで「駆け込み需要」ということで食べてきました。マックシェイクつきで。やっぱりマクドナルドといえばポテトに限りますよね。君と一緒に過ごした思い出は一生忘れないよ。元気でね。
世間話はそこまでにして、今回は、「夜遊び」ということで、夜に外に出て活動することについて、自分自身の考え、というかそれが「きつい」ということについて延々と書き連ねることにしたいと思います。これは決して、夜中にカラオケとかそのようなことをしている人を否定・批判しているわけではない、ということをあらかじめご了承いただきたく思います。また、一人暮らしをしている身としての発言なので、多少理解に困難が付き纏うことも考えられます。そう感じた方は遠慮なくブラウザバックしていただいて構いません。大丈夫だよ、という方のみ読み進めて頂ければ幸いです。
身体的な"きつさ"
はっきりと申し上げると、私は紛れもない「朝型」の人間です。大学のある日は毎日決められた時間に(冬は寒いので大変ですね・・・)起きていて、大学が無い日で、どこか遠くに行こう、あるいは朝のうちにちょっと撮影に行こう、と思えば5時起きでもへっちゃらな身です。というか一度神戸空港に行ったときは3時45分に起きてバリバリ活動できた分には典型的な朝型なので。流石に前日は早めに寝たけど。なので、朝に関しては全く困っていることはありません。人と遊ぶときに、自分は余裕な時間でも相手にとっては早すぎる時間を提案することにならないように気を付けなければならないと自覚はしていますが、その程度。
ところが、夜になると夜更かしが本当にできないのです。夜の11時にもなると脳が完全に疲労し、眠い、今すぐ寝なければ、という感覚は無くても、「今自分は何をしているのか?」とか、「この時間まで起きてこのことをやって意味はあるのか?」というように、起きて活動している実感が本当にない、そういう言葉に表しづらい奇妙な感覚がつきまとい、時間が経過するにつれてその感覚が増幅していくのです。もちろん、徹夜はもってのほか。死んでしまいます。そして、それに耐えきれなくなって、家にいる時なら、迷わずにパソコンを閉じ、おやすみのツイートをして、布団に入って翌日に備えるのです。
それでは、外にいる場合はどうなのでしょうか。夏休み、近くの河原で花火(からの深夜おしゃべり)ということで、あれは何時くらいまでいたのでしょうか。夜の23時半くらいまで、河原で延々とおしゃべりをしていたことがありました。その日は確か5時起きでしたが、途中午後に仮眠もとったのでそこまで寝不足という感じではなく、花火をし、おしゃべりを始める頃までは何とも感じていなかったのです。ところが、夜が更けるにつれて疲れが急速に増していったというか、飽きてきたというのか、それとも「早く帰らねば」という使命感からなのでしょうか(それは後に話すことにしましょう)。その場にいることがとてもしんどくなり、家に帰ることがありました。周りの人たちは余裕で日付を越し、電車もない時間帯まで(皆さん一人暮らししてはるので・・・)おしゃべりをしていたそうですが、そこまで付き合う元気はありませんでした。
よく「朝型」「夜型」は遺伝で決まると言われ、科学的にもある程度の根拠はあるそうなのですが、最終的には、その人の生まれ育った環境での生活習慣によって決められる、と私は考えています。生活習慣次第では、朝早くに起きてバリバリ活動できるようになる人もいれば、夜遅くまで起きていても平気、なんなら徹夜も平気、という人もいる。これに関しては、これ以上触れると周囲の怒りを買うのも嫌なので、このあたりにしておきます。それではここからは、私が夜遊びがしづらい「精神的」な理由について考えていきたいと思います。
「りょうしん」の呵責?
私が大学生になるまで、「夜遊び」をしたことがありませんでした。夜遅くまで外に出る、といえば、やはり塾。現役の時は、夜の9時45分に授業が終わって、家に帰ってきたら11時前、ということはザラでした。でも、それくらいしか夜遅くまで外に出るというイベントはありませんでした。周りの人たちがどうだったかは全く知らないのですが、家が厳しいのか、それとも外に出る用事がないような、そこまで人と遊ぶことのない、そういう人間だったのかもしれませんが。
家の中での夜更かし、というのもの滅多にありませんでした。大晦日は例外でしたが、それ以外は日付が変わる前に寝るのは、受験期直前以外はほぼ当たり前のことで、そのくらいに寝ることに慣れていたのです。そして受験期直前に、勉強が切羽詰まっているので頑張って夜更かししようとしたとしても、結局のところ最初で述べたように疲労が蓄積していって布団に吸い込まれていくだけ。これじゃあ全く意味がない。でも、だからといって意識して夜更かしできる体にしようとは思えませんでした。この生活を維持しようと思ったのは、もちろん次の日が朝早く忙しいので夜更かしなんぞしていられない、というのがまず第一だったようには思えるのですが、それ以上に、「両親」の躾(しつけ)、そしてそれによって強く植え付けられた「良心」の呵責という二つの「りょうしん」が奥底ではたらいていたのかもしれません。
「いつぐらいに帰ってくる?」
皆さんは子どもの頃、外に遊びに行くと親に言うと、決まってこのことを聞かれたでしょう。中には門限を厳しく設定されていた、というところもあるかもしれません。親が、子どもにそのようなことを聞く理由としては、夜遅くまで外に出ると危険だという防犯上の理由とか、晩ごはんの都合とかをつけたいとか、様々な理由が考えられましょう。それはどれも、子どものことを思って、危険な目に遭ってほしくないというやさしさからなるものだった、と一人暮らしをしてから薄々ながら気づくようになりました。
もちろん、そのようなことを聞かれた立場だとたまったもんじゃありません。自分の行動を監視されているというか、あまり自由に行動することができない、というか。思春期、反抗期を迎え、そのような親の「支配」から脱し、自分自身で行動を律することができるようになりたい、と誰もがそう思うでしょう。もちろん自分もそうでした。そして、大学生になって一人暮らしが許されてからは、「支配」から脱することで自由に「夜遊び」できるようになる。自分もそうなりたいと思っていました。だけど、無理でした。
次の日に予定があったらそれを優先しないといけない(と考える、クソ真面目な人なので・・・)ので厳しいけど、それがなかったら夜遅くまで友達とカラオケに行ったり、おしゃべりしたり、あるいは夜通しでどこかに行って夜しかできない魅力的な体験をしてみたい、と心の底でずっと思っていました。夏休みこそは、春休みこそは、と考えてはいるのです。ところが、それがなかなか実行に移せないのです。そこで現れるのが「りょうしん」の呵責。自分は早く家に帰って、やるべきことをやって、たとえ次の日に用事がなかったとしても早く寝なければならない。そのようなことがずっと頭の中をぐるぐる、ぐるぐるして離れないのです。理由はわかりません。でも、これを払拭できそうにありません。本当はしたいのに。
大学生になり、将来社会人になっていく、という変化の途上にあって、私は考えました。いい加減、その依存心というか、いつまでたっても親の言うことを呑み込んで自分の行動を決めてしまう、という考えを改めて、自分の生活は100%自分でコントロールすることができるようにならなければならない、と。それをなかなか実行に移せず、いつまでたっても「りょうしん」の呵責がはたらき、早く帰ってしまう私。
「社適じゃん」
そう人々は言います。今年の抱負のところでも触れましたが、このようなシチュエーションでこの言葉を掛けられると、正直複雑な気持ちになります。生活習慣としては確かに理想的なのかもしれないけれど、一人早く帰ってしまうことで、話題についていけず、最悪の場合友達の輪に馴染むことができなくなってしまうのではないか。自宅から通っていて、それで電車の都合とかで早く帰らなければいけないのならば多少は仕方のないことなのかもしれないけれど、下宿して一人暮らしをしているのでそのことは通用しません。もっと居れるじゃん、諦めが早いんだよと思われても仕方がありません。でも、本当はこう思っています。
一度くらいは「夜遊び」を。
自分の体が「今日はもう疲れたから早く寝ろ」、と言うことを無視することはとてもつらいことではあります。それで体を壊しては元も子もないことですから。自分の体の声、心の声を聴きながら、自分で自分を律する。朝の早起きも、夜更かしも、フレキシブルにできるようになりたい。でも生活習慣は維持したい。これは決して簡単なことではないでしょう。予定表とにらめっこして、大事な予定を優先することができるように頭を使って(というと自分の性格が思いっきりにじみ出てしまうような気がするのですが・・・)、「りょうしん」の呵責をなるべく少ない状態にして、あとは体を万全にして。いつかはきっと。一つの外交手段である「夜遊び」を、してみたい。できたらいいな。
最後に。繰り返しにはなりますが、これは決して、普段から「夜遊び」をしている人を否定・批判しているわけではない、ということをご了承いただきたく思います。
なんか、本当に自分が思っていることをペラッペラな文章にして書き連ねる、という文字通りの駄文になっちゃった。時間も時間だし、眠いし、そろそろ寝ます。社適なので。
おやすみなさい。すやり。