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#エクストリーム帰寮2022 体験記―後

熊野寮祭の企画「エクストリーム帰寮」の体験記の後編です。前編がまだの方は下記のリンクから先に前編をお読みいただいたうえでこちらをお読みください。

1. 京阪宇治線沿線

 深夜2時25分頃。しばし休憩を取っていた宇治橋のたもとを出発して、今度は北の京都方面を目指して歩いて行きます。宇治~伏見~京都間は、京都に住んでいる私たちにとっては比較的なじみのある場所で、また京阪宇治線が宇治から中書島まで走っているので、その沿線を歩けば迷わずに伏見の方まで行けるだろうと想定。

ウジウジ。流石に人もいません

 京阪の宇治駅は宇治橋の目と鼻の先。観光目的で宇治を訪れた際にも毎回利用しているので、電車の無い時間帯という昼間とはまた違った駅の様子を見ることに。想定外だったのは駅に列車が1本も留置されていないということで、夜になると全部淀の車庫の方に引き揚げてしまうんだなという謎の運用調査(?)みたいなのができてしまいました。
 この頃に、これまでかかった時間と歩行速度、およびこれから必要となるであろう距離を計算して、6時半~7時くらいに熊野寮に到着するだろうと勝手に予想。その予想は大当たりすることになるのですがそれはまた記事の最後の方で。
 とりあえず線路沿いに道があったので、そこをひたすら北上。同行者はどうも六地蔵から宇治まで徒歩で行ったことが何度かあるらしく、彼がある程度は道案内みたいなのをしてくれたおかげで比較的スムーズにいくことができました。トイレ探しを除けば。頻尿ってつらい

うじキャンΔ

  宇治線の沿線(黄檗とかその辺りかな?)には、我らが京都大学の宇治キャンパスがあるので、せっかくここまで来たのでということで寄ってみることに。当然人はいなかったのですが、トイレに行きたかったということもあり、ワンチャンどこかからか入れるんじゃないか?と思いながら色々見ていたのですが入れませんでした。まあ仕方ないか。宇治キャンパス、大学生活の中でお世話になることはあるんでしょうかね。多分ない。
 宇治線沿線、南北に走る府道がきちんとあるので、その沿道にロードサイド型店舗ということでコンビニとか飲食店とか(しかも24時間営業のやつ)があるんじゃないかと見積もってその府道を歩いていたのですが、コンビニも思ったよりも少なく、トイレ探しには一苦労でした
 ・・・山道を延々と歩かされる人たちに比べたら恵まれてる方なのよ?物を買うというイベントは発生しなかったのですが、何かとコンビニにお世話になる機会は多かったので、改めて文明のすばらしさを感じた次第です()

 というか今思ったのですが、宇治から観月橋の方面まで行こうと思えば、京阪宇治線の沿線ビタビタを歩くよりも、宇治川沿いをひたすら歩くか、宇治橋を渡らずにさっさと国道24号に出て向島とかそっちの方を歩いて行く方が早いんですね。まあルートに自信が無かったので、確実に伏見の方に行く京阪沿線を歩くのが時間はかかっても安心という意味では最善の策ではあったような気がします。

ろくじぞ。もちろん地下鉄は走っていませんでしたが、土曜の未明(=金曜の深夜)だったからかたむろしている人はいました

 宇治線沿線をひたすら歩いて、栄えているようで栄えていない(?)六地蔵の駅前とかを横目に見ながら、北から西(=観月橋駅がある方向)に針路を変更。観月橋の方面で24号に乗っても安心という意味ではよいのですが、六地蔵の方から2つくらいショートカットをできるルートがあるということを地図からおぼろげながら思い出しました。ですがどの道から入るのか全く見当がつかず、ショートカットをすることはできませんでした。残念。

 なんとか4時過ぎに観月橋の駅を過ぎて、そこらで軽く休憩。よく考えたら宇治橋から1時間40分くらいかけて辿り着いたわけなんですね。距離的には宇治田原の山道を歩いた時間とあまり変わらないのに、どうも長く感じられたのは、徐々に溜まってきた肉体的な疲れと、半分を過ぎたけどまだまだ遠いという精神的な疲れが重なったからなんでしょうね。面白いスポットも無く、ただ車が通りすぎる無機質な深夜の道をただただ歩くという行為、かなり精神的に来るものがありますね。一人だと絶対心が折れてました

2. 京都市街へ

 観月橋から国道24号に出て、暫く北上。暫くというか、こちらも京阪線沿線をひたすら東福寺の方まで北上して、そこから川端通に出るという計画でした。2桁国道だから流石にコンビニとかお店とか色々やっているだろうなと思って見てみたら、全くありませんでした。ただ団地しかありませんでした。どこの田舎だよ。観光地も、明治天皇の桃山御陵が確かこの辺りに・・・と思っていたのですが、そんなに国道に近くありませんでした。

軌陸車(道路と線路の両方を走れる車)に興奮するオタクでした

 途中にJR奈良線の線路と並走する区間があるのですが、そこは複線化工事の真っ只中。照明灯で明るく照らされた中で夜を徹して作業が行われている。真夜中の町を実際に歩くことでしかわからない人々の営みがあるんです。私たちが知らない間に、私たちの暮らしを支えてくれている人たちがいるんです。そういうのをこの帰寮で認識することができたのかもしれません。 
 京阪線はかなり馴染みがあり、この程度の地理オタクだったら駅名はある程度把握していたため、今はこの駅なのであとどれくらいなのかを逆算して考えることもできたわけです。それで精神的なゆとりが生まれたというわけではありませんでしたが、常にその先のことを考えられるってある意味良いことじゃないですか。知らんけど。

 そして地獄なのはここからでした。足は少しずつ重くなって、ろくに仮眠もとれていないくせに眠気もあまり感じずピンピンな上半身と、死にかけの下半身との差が明確になります。リタイアという発想はもちろんなく、よほどのことが無い限りそのまま歩き続けてゴールするという考えに変わりはありませんでした。とりあえず、京阪線のすぐ東側を墨染から東福寺まで南北にまっすぐ貫く奈良街道という通りに出て、その道をひたすら北へ北へと歩いて行きます。途中トイレとかで(何回寄るんだよ)コンビニに寄ったりしたこともあったのですが、なんせ単調な住宅街の中を歩いて行くのですから、正直ダレてくるわけです。というわけで、相方と話し合って、それぞれ片耳にイヤホンをつけてそれぞれの好きな音楽を流しながら歩いて行こう、というふうになったのです。疲れて言葉少なになるから丁度いい、というわけではありませんでしたが、そうすることで、少し元気が出てくるし、眠気防止にもなったのではないか、と今では思っています。

5時10分、伏見稲荷前を通過。この時間帯になるとお年寄りなど外に出て活動をする人々が増え始めます。普段そのような時間に外に出ることが無いから気づかなかっただけで、少しずつ夜明けは近づいていたのです。

 東山から伏見のエリアでは、観光でもちょくちょく訪れたことがあるエリア。それらは京阪の駅から容易にアクセスできる場所が多いので、北上するとこの場所は知っている、というようなところが増えてくるわけです。今年の6月に紫陽花巡りで訪れた藤森神社に続く道、かの有名な伏見稲荷に続く道、東福寺近辺のよくわからない道…などなど。京阪の駅がだいたいどのような場所にあるのかが理解できれば、現在地と残り距離というものがよりはっきりとしてくるわけです。ただそれでも、疲れ切った体や心との闘いというのもあって、一番しんどく思った区間でもありました。

 そして、鳥羽街道の駅の横を過ぎた頃でしょうか。駅の方から電車の発車する音が聞こえるではありませんか。そう、始発電車です。5時台前半でまだ真っ暗なのに、いつもと変わらず走っている電車。そこから何か感銘を得た、ということはなかったのですが、真っ暗闇の中を歩き続けて、ようやく夜明けが見えてきたという、微かな希望を抱くことができたのかもしれません。

これは始発から2本目の準急。空いてはいましたが…

 東福寺駅近辺で、そろそろ川端通に出ようとして、京阪とJRの踏切を渡って鴨川の方に出ようとしたら、なんか行き止まりに出くわしました。10分くらい損しました。やはり疲れた脚には距離的にも時間的にもつらいものがありました。
 時刻は6時前。もう一度東福寺駅の東側に戻って、馴染みのある線路沿いの道を歩いて、地下に潜る京阪の線路を見届けて、なんとか川端通に出ようとする場所で最後の休憩。少しずつ東の空が青く明るくなってくるのに気が付きました。空は曇っていたのが少し残念ではありましたが。

3. ラストスパート

七条通

 休憩を終え、川端通を北上します。JRの北側に行けば、もう半分着いたようなものです。とはいってもどうも4kmくらいあるそうですが。「百里を行く者は九十を半ばとす」とはいいますが、それだとようやく半分が来たくらいですね。でも道も明るく、歩道もしっかり整備されているので、身体との闘いにさえ打ち勝つことができればもうこっちのもんです。

五条通デカすぎワロタ

 この私、本当に五条方面に用事がないため五条の方に行ったことが無く、そのため距離感覚が少し曖昧になっていました。思ったよりも五条通と四条通の距離が長く呆れそうになりましたが、それもゴールは半分見えているし少しの辛抱ということで。「〇条」の数字が少しずつ減って行く毎に、達成感というのも少しずつ大きくなっていきます。七条から五条へ。五条から四条へ。四条から三条へ。以前に歩いたことのある区間も、自転車で通ったことのある区間も、やはり私が親しみを持っている場所ということもあってやはりどれもいとおしく感じられます。私は結局最後まで上半身はピンピンで、下半身も痛みはありましたが普通に歩くことはできる状態だったのですが、やはり30kmを歩き続けるのはかなり過酷。仮眠を取ることの大切さというものをなにか思い知らされたような気がします。
 しかし、朝の6時半に活動してるような若い人たちは、泊まり掛け観光税なんでしょうかね。それともオール明けなんでしょうかね。うーん。(人の事言えない)

祇園四条の南座。顔見世興行の板(なんて言うんやっけ)が掲示されてたのを撮ってきましたが、流石に6時半やとほとんど人がいないですね
三条に参上!しょーもないダジャレがこれほど清々しく感じられることはありません

 川端通を北上する間も片耳にイヤホンをつけての状態でしたが、少しずつ心が軽やかになっていくような気がしました。
 ・・・そして朝6時50分。無事熊野寮に到着。やりきった!!受付で帰寮手続きを済ませて、痛む足に最後の追い込み、というわけではありませんが、自転車を15分ほどこいで家に帰ったのでした。
 というわけで、ここからは帰寮のまとめです。

「キョリ測」にて距離を計算。

・落とされた地点・・・宇治田原町「猿丸神社」
・総歩行距離(道迷い含む)・・・32.2km
・総所要時間・・・7時間45分(表定速度:4.1km/h)
・歩数・・・約50,700歩(もちろん、1日当たりの歩数の最多記録大幅更新)

 はい。最短距離での帰寮とはなりませんでしたが、安全安心を求めた結果のルートといえましょうかね。しかも帰寮時間も宇治で予想したものと大体同じで、そこは距離感といいますかなんというか。30km、歩こうと思えば歩くことは可能な距離だということがよくわかりますね。はい。もう暫くはやりたくありません。今回は落とされた地点からかなり地図が充実していたので困ることはありませんでしたが、仮に何もない山の中に落とされたときにどうなっていたのか、などいろいろと想像を膨らませてしまいますが、なんせ寝不足で、しかも翌日は5時半に起きて7時からバイトなのでさっさと寝なければいけません。というわけで今回の記事はこのくらいにしときます。
 EX帰寮の全体的な感想とか反省とかは、またゆっくり整理するときがあればまたそのときにでも。アドベントカレンダーは書けたら書きます。多分。

 というわけで、この記事は以上となります。丁度5000字行きそうだから5000字きっかりで締めようと思います。おやすみなさい。

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