計画のはじまり
しばらく描いていなかった絵をまた描いてみようと考えたのは、自粛の閉鎖空間でできることが限りなく狭まったためだと思います。
スポーツも、音楽も、なんでもそうですが、しばらくやっていないとすっかりやり方…というかコツ?を忘れてしまい、身体が思うように動きませんよね。
私、学生時代泳ぎは比較的得意だったのですが、15年ぶりにプールに入ったら10mで溺れかけましたからね。。
ただ、確かに全盛期には及ばないといえ、
長い時間をかけて身につけてきたものは、そう簡単に忘れるわけないよなと。
毎日描いていた頃に比べたら技術は落ちているだろうが、今でも全く描けないわけはなかろうと。
少なくとも数倍の時間をかければ、まあ見られるものは描けるのではないかと、そう考えていたわけです。
で、実際に描いてみたところ、
「ああ、これはダメだな。。。」
となりました。
ー完ー
いや、完結している場合ではありません。
確かに、1ミリも描けなくなっているわけではなかった。
なかったのですが、十数年前、自力で叶えようとしていた“頭で考えたことを紙面に描き出す力”みたいなものは、確実に失われているのを感じました。
当時はあんなに、息をするように鉛筆が動いたのに…今しがたiPadの画面に描かれたものはなんだろうか。
確かに私の絵だけど、私の頭の中はこうじゃないのだが…?
そんなことを思いました。
もはや、脳内を描き出せていたこと自体が捏造された記憶なのか、現在の画力の劣化を認めたくないだけなのか。まあ両方なんでしょうけども、
とにかく、「???」となりながら私は一つの答えにたどり着きました。
「ああそうか。元々の画力が低かったんだな」
あー、いやいや。
僻みとか後ろ向きとかそういうのではなく、その結論に心から納得したという話です。
頭の中が単純平坦ならば、描き出すのはおそらく容易なのです。
つまり、頭の中の理想が高くなったために、現在の画力ではまるで表現できないと。そういうことなのでは。
私は気が向いた時に好きなものだけを好きなだけ描き、誰にとやかく言われることもなく絵を描くということを楽しんできました。
頭の中を紙面に描き出すことがとにかく楽しくて、寝る間も惜しんで描いていた学生時代、、
ですが、おそらく、そのせいで、「基礎画力」が圧倒的に不足している…
…ことに、気付いてしまったのです。
はい、長くなりましたが、再び「ちゃんと」絵を描こうと思ったきっかけはそんなところ。
他にも動機はいくつかあるのですが、それはおいおいお話していくとして、
まずは基礎画力だな、動きのある絵を描くには人の動きを捉えられるようにならねば。と考えました。
もはや「今更」とかいう話は置いておいて。
とにかくこうして再び、自分の頭の中を紙面に描き出す計画が始まったのです!