継ぐことについて
私の実家は設備屋です。
設備の施工管理をやっている会社です。いつも、そこで事務員をしています。
最近、代替えをしまして、色々わかったことがあります。
それは、自分の20代でのふらつき度合いです。確かに、最初は設備屋を目指す気なんてさらさらなかったし、自分もこの家を出ていく身なのかもしれないとどこか思っていました。
私は、長子で長女なので、この家のことに関してというよりは、設備屋という風潮のせいか、男子が継ぐべきものと考えられることが多かったのと、親も別に反対はしなかったのでいいんだと思って外に出ることを10代~20代の半ばで考えていました。
それで、いざ、就職活動をして就職が新卒でできたので、問題ないと初めは思っていました。
しかし、上手くはいかないことが多いです。いつも、自分の仕事が朝早くに起きて現場に行って、掃除をするだけの仕事だったのに、祖母に口出しをされ、
「ねぇやと同じような仕事をわざわざやる必要があるのか。」
と言われました。本当に最初についた職場でも、ここまで、怒られたり、辛かったりするのに、ここまで、言われるのはショックでした。
就職活動が失敗だったのかとさえ思いました。しかし、やっていくわけでもなく無理だと思ったので3か月で退職しました。
次の職場はもう話済みで、職業訓練校に行き実家の手伝いか外でごはんを食べてくるかというものでした。
その職業訓練校でも、私は朝早く起きられないので、大変でしたし、慣れないことが多く、怒られることで、驚くことが多かったです。
職業訓練校で泣くことも多かったので、就職活動をやるか、家業を継ぐかの選択で、家業に頭下げられないかと言われたことを今でも覚えています。
家業をその時に選択しないで、何とか就職口が決まったので外に就職することが決まりました。
就職をしたのまでは良かったんです。
しかし、就職をしたとたんに自分がわからないことが多いのと、世間の常識とかけ離れていることがよくわかりました。そのせいかストレスをかんじてしまい、周りにも馴染めずにいました。
それで、今度は就職できたところだったのに辞めざるを得なくなり、どうしても自分の居場所がないところに居るのもおかしい話なので、転職をすることを考えました。
しかし、総務の方と両親が最後に面談をして、話したところ家に就職することが決まりました。
私は、外で食べていくことが出来なかったのが今でも不服でした。そこで、何でもできると思っていた自分に悲しい現実が来たようでした。
しかも、実家に帰ってきて継いだことになりましたが、いざ、技術の面で、資格が取れていないことや、技術力不足が目立ち、母親に怒られてしまいました。
その件で、最近は事務員をやることになりました。
いつも、私は現場に立つことが全てだと思っていたけれど、技術力不足と資格が無いと現場に立つことはかなわない。
いくら、自分の母親や父親や祖父がそのような資格者であっても、自分ができるかという場面に出くわすと実力不足が目立ち、女性という性別のせいで、いつも、男性のように力持ちではないので、現場に立つことは、資格以外は無いので本当に悲しかったです。
継ぐと決めたら、今度は代替えが始まり、今、自分でどうやって継いでやるか、閉店するにも苦労かけないでどうやるかといことも含めて考えている状況です。
しかし、すでに母親は見通していて、私の代で潰すかもしれないような話まで出ました。確かに私は、技術者として半人前で、事務員としても半人前です。
自分の身の上をどこまで、40歳までには答えをある程度出さなければ、いけないのではないかとまで、考えています。
継ぐ覚悟をもってしてでも、世の中には、常に厳しい現実があり、親はいつまでも生きているわけではありませんし、自分のことを考えるなら遊んでいる暇もない状況です。
継ぐべきなら考えをいつも腰を据えてどうするかということを考えて、伴侶をどうもらうかも考えなければならないので、本当に大変だったけれど、お遊び半分で物事をやってはいけないので、40歳になるまえにどうにかしていこうと思っています。