データをあてにしても
データをあてにして考えていると、どうなるのかを経験しました。
世の中には色々なデータがあり、サンブルとしてどういう人が対象でとったのかというのも含めて書いてあることがあります。
すべてのデータを確認していると、そればかりが全てかと思いました。
私は、統計学を大学の授業でとり、社会調査士資格までとりました。また、論文も書いてみると、本当に考えさせられることがあります。
データが全てになってしまうと、いつまでも、結果にとらわれてしまいます。論文を書くときにどんなデータが取れてどう書くかは自由です。
しかし、この結果をもとに話をするとしてやってみると、どうなるかを考えるより、与えられた情報をどう生かすかが問題だと思いました。
サンプリングの時にどこに話を持っていき、どうやって結果を得たいのかを考えなければ、いけないこともあります。
例えば、主婦層でも20代と50代でも違いは出ますし、どういう論文を書いていて、どういう人を対象にして、考えてみたいのかをしなければ難しいことがあります。万人のデーターをとりたいなら無作為抽出でも構わないです。
データの本質は、あくまでどう出たかというものです。それをどう扱おうと自由ですが、裏付けとして扱うなら、どうすべきかを考えなければいけないです。
現場に行って、足を運ぶこともデータにはなります。論文を考える上で、何がテーマで、考えていくのかを見ていったほうが良いです。
また、データの中でも、インタビュー調査というのもあります。全てはデータになりますし、どういう考えでがよく見えてくることもあります。
何でもデータにはなりますし、裏付けになります。研究することに関して、あくまで、どういうテーマで、ものを考えていくかです。結果にこだわることが全てではないです。
データばかりにとらわれたら何でもおかしくなることを含めて、考えたほうが良いです。全ては結果ならどうして動かしていくかも考えて、どうしていくのかも考えなければいけないことがあります。
たかがデータでしょうけれど、何でも、データを頼りにしすぎたり、あてにしすぎると嫌になりますし、そればっかりにこだわりを持たないほうがいいなと考えました。
あくまで、使いたいか、使いたくないかも含めたうえで、どう抽出して考えていくのかです。そこまで、データに固執しすぎないようになり、結果を伝えてみるだけにしたほうが良いこともあると思いました。