自分が悪い
自分が悪いと思うことがない人はある意味すごいなと思ってしまいました。
自分が悩むや自分が悪いと思うことがない人はすぐに他人のせいにし、自分は悪くないの精神でものをいえるから、すごいなと思います。そういうのができる人って何かあっけらかんとしているというかいつまでも幼稚でいられるのが素晴らしいと思いました。
責められたくないではなく、なんで、自分が悪いと思って謝ることをして、その次に何をするかを考えて、相手にどう動いて欲しいかより自分でどう動いて相手を説得できるかや、納得してもらえて先に進めるかを考えます。
そういうのが大切であって、責任を問い続けて、なんでも人が悪いと言いつつげるのは誰にでもできる作業ですごく人をかえって傷を負わせてまでしたいことなのかも悩ましいものです。
俯瞰して物事をみても責めることや、だれが悪いではなく、その人の行為について何が悪くてこうなっているのかを見ていく必要があるだけで、なぜ他人などのせいにだけにできるのかが不思議です。
自分のせいにしすぎるのも問題ですが、少なくとも自分が悪いことの意味や行動を相手に向けて何をしたのかはすべて把握しておく必要があると思います。
そんなにその人が悪いといわれるなら、直す必要性が出てきて、どうそれに向かいどう対処すべきかが問題であり、それを望まないもしくは変えたくないのであるならば、その人に接するのをやめるべきだと思います。
人が悪いといわれるほど、性格面での問題があるなら、あえて自分が向き合える範囲をどこまでか覚えておくか、考えておく必要があります。それでも、向き合いたくないであったり、気持ちの余裕がないという考えにいたるなら、その人に頭を下げて、関わらあいようにしてあげたほうが身のためでしょうし、相手や自分のためになるのではないかと思います。
人がすべて同じ考えを持っているのではなく、あくまで違う考えでいるから怒られている点や物事の腑に落ちない点は何かを予め探っておく必要はないけれど、覚えておく必要はあります。自分が悪いなら、何を考えているのかを探る必要があると思います。
人との付き合い方ではなく、人を思いやって行動することの意味や裏側を考えてみたほうがいいです。
人は必ずしも考えが似通っているだけの人や、行動が似ているだけの人もいます。だから、人をひとくくりにしてみて考えても、いいことはないけれど、せめて人々の怒っている点はどこなのか、悪いといわれている点をどう直すかの答えをどう見つけるべきかを探るのもわるくはないはずだと思いました。