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【龍が如く8ネタバレあり】桐生一馬の罹患した病は何なのか

『龍が如く8』が発売された。新主人公・春日一番の物語の第2作であると同時に桐生一馬の最終作とも銘打たれている本作。すでに公開されている情報として、桐生一馬が余命幾ばくもない病人であることが明かされている。その上で、ストーリーを確認した結果として色々と思うところがあったので、大人気なく考察してみようと思う。
先に注意点としては本作においては『龍が如く8』のネタバレを大いに含んでいること、加えて桐生一馬の私生活に関する過去作の情報を一部含んでいることに留意されたい。



前提条件の確認

まず、桐生一馬の病について本作中で明かされた情報は以下の通りである。
・余命半年の「ガン」である
・突然血を吐いている
・その後診察した医師によると「入院せずに生活しているのが不思議なレベル」であるほど進行している
・本人曰く、「やれる治療はすべて行った」(注意点あり)
・戦闘中の描写上、体に手術痕がない
・戦闘時には影響がないように見える(注意点あり)
・最終的に放射線治療を受けるため「リニアック室」に向かっている

思ったよりは情報があるのだが、いくつか留意点がある。まず、「やれる治療はすべて行った」のくだりだが、これは事実ではない可能性がある。「龍が如く6」のラストでとある取引に応じた彼は公式には「死亡」扱いになっているため、いわゆる健康保険制度による標準治療が受けられない…という意味ではない。このとある取引には日本政界にもコネクションを持つ巨大組織が関与しているため、その気になれば調整はつけられるのである。というか、それができないと彼がハワイに出国できない。
話を戻すが、なぜこのくだりが事実ではない可能性があるかというと、この時の桐生は生きることに対してやや投げやりになっている節がある。自身が生きてきたツケで様々な人物の人生を狂わせ、時には死に追いやったというサバイバーズ・ギルト的な感情も抱えており、本当に十分な治療を受けたのか少し怪しい面もあるのである。
次に、「戦闘には支障がなさそう」な描写である。これについてもムービーシーンによっては体調が悪そうにしたり、戦闘不能になったりもしているのでそれも加味することになるが、常人離れした桐生なので可能なだけで一般人では戦闘はおろか日常生活も不可能な状態かもしれない。
こうした留意点も念頭に置きつつ、いよいよ考察に入っていく。
ちなみに、作中で「ガン」と表現されているが一般的な表記は「がん」であるため、以降は「がん」と表記する。これは上皮系細胞由来の悪性腫瘍「癌」と非上皮系細胞由来の悪性腫瘍「肉腫」を包括する概念である。具体的な病名が明らかになっていない以上、wikipediaなど複数サイトで記載されている「癌」という情報は根拠がない誤記と考えて良い。

余命半年の極道

余命半年、という表現はよく用いられているがその具体的な定義は明らかではない。というのも、そもそもがんの生存率を表す指標は「余命」ではなく「5年生存率」だからだ。
そもそも、「余命」という単語が学術的な意味で使われる時最も正確な表現は「平均余命」であろう。これは現在と死亡率が同じと仮定した場合、とある年齢の人があとどれくらい生きられるか、という指標である。ちなみに0歳の時の平均余命がいわゆる「平均寿命」というやつである。
なので、余命半年、という表現は個々の医師が自らの経験則や治療効果などから回答するあやふやな表現であり直接的にがんの進行度を規定する指標ではないと言える。
ただし、この表現から分かることは桐生のがんは比較的進行度が早いがん、もしくはある程度病期が進行した状態と考えられる。例えば、男性が罹患することが多い「前立腺癌」は非常に進行が遅く、余命半年になるには全身の骨にびまん性に転移するなどの状況になる必要がある。一方で、「膵癌」などは極めて進行が早い、かつ発見時にはすでに転移など臨床病期が進行していることが多く、いわゆる「余命」が数ヶ月となっていることも多い。
つまり、この情報から彼の病を特定することはできない。

「血を吐く」ということ

血を吐く、という表現を用いた理由がある。ゆる言語学ラジオのとある回でも登場していたが、口から血を吐き出す、という表現には大きく分けて「吐血」と「喀血」、そして口腔・咽頭からの出血が存在している。吐血は消化器系からの出血、喀血は呼吸器系からの出血と区別されている。桐生は咳き込みながら比較的明るい色の血を吐いていたため、喀血の可能性がやや高いが、喀血の場合、肺サーファクタントの混在で気泡を生じるがそれが見られないこと、また、出血量が多く消化器系の出血を誤嚥したことによる咳の可能性もあることから、今回はその両方の可能性を考えてみる。
喀血の原因としては肺癌、吐血の原因としては食道癌胃癌、口腔・咽頭からの出血には頭頸部癌が含まれる。また、別の部位に発生した癌が呼吸器や上部消化管に転移、もしくは近傍に転移し浸潤した可能性もあるが大量出血に至る自体の頻度は比較的稀と考え、今回は除外する。

極道のカルテ

また、別の観点からも鑑別を進めてみよう。「8」時点で桐生は55歳。過去の生活では喫煙、飲酒もそれなりに行っている。喫煙は頭頸部癌、食道癌、肺癌の、飲酒は頭頸部癌、食道癌の発症を高める因子となる。
食生活に関しては明確な描写は無いものの、自炊を行っている場面は(本編に関しては)ほとんどなく、外食やコンビニがほとんどだったと推測される。
職業としては極道以外には施設経営業、タクシー運転手、ボディガード、そして放射性廃棄物処理がある。放射性廃棄物処理以外については特段職業に起因する発癌要因はないと考えて良い。
現病歴としてあまり明確な描写は無いが、明らかな体重減少や腹水貯留といった体型変化はなく、食事も問題なく取れている描写がある。そのため、通過障害を引き起こすことが多い頭頸部癌、食道癌や胃癌の可能性は低いと考えて良い。
既往・既存歴についてだが、ひとまず大病を患った描写は無いが、撃たれたり殴られたり大人数を相手に死にてえやつだけ掛かってこいしたりしており、複数回の外傷歴があると考えて良い。中には輸血や手術を必要としたこともあるのかもしれないが、今回はこれを問題としないことにする。
(※輸血によりHCVに罹患する可能性があり、これが肝細胞癌に発展することはあるが、そう言ったことが言及されていない事を鑑みるにこの可能性は極めて低いと考えられる。)

最終診断

以上の情報と最終的に「放射線治療」が選択されていることからいよいよ診断を絞っていこう。わかりやすい「血を吐く」症状と喫煙歴からは頭頸部癌、食道癌、肺癌が鑑別となる。このうち、下咽頭癌と食道癌は嗄声(声のかすれ)や通過障害(食べ物が飲み込みにくい)などの症状が出現するのに対し、肺癌は咳嗽(せき)や血痰などの症状が中心となる。作中でも食事を問題なく取り、カラオケもこなしていたところを見ると症状としてはあまり合致しない。つまり、一番考えうる疾患は肺癌ということになる。
ただし、桐生が食事を取らず、飲酒のみだった場合は、食道癌、中咽頭癌も可能性が残る。一般的に通過障害は固形物(食事)に限定され、飲水などは比較的保たれるためである。

肺癌だった場合の治療方針だが、まず肺癌と一口に言っても癌細胞にも種類があるためその種類によって治療方針が異なる。非小細胞肺癌(NSCLC)の場合、Ⅰ-Ⅱ期、ⅢA期では手術の優先度が高い。一般的に手術不能肺癌とされるものおよびⅢB期以降では化学放射線療法もしくは放射線治療が選択される。一方、肺癌の10-15%を占める小細胞肺癌は進行が早く、早い段階から手術不能の判断に至る。
桐生は「やれる治療はすべて行った」と言いつつ、体には手術痕がない。化学療法単独というのはガイドラインでの1stラインではないのだが、放射線治療は原則として2回同じ場所に当てることが難しい(1回目の照射の際に正常組織が耐えられる放射線量ぎりぎりまで照射するため)。つまり、エピローグの放射線治療を受ける描写に矛盾が生じてしまう(ただし、これが根治的治療ではなく骨転移への緩和照射や脳転移予防の全脳照射である可能性はある)ので、やはり桐生は治療をきちんと受けていないのかもしれない。
ともあれ、情報と病勢から判断するに桐生一馬は「進行型肺小細胞癌」もしくは「切除不能非小細胞肺癌」に罹患していると考えられる。エピローグでは点滴ルートがないことから放射線単独療法を選択していると考えられる。理由は不明だが、化学療法の製剤にアレルギーや重篤な副作用が見られたか、長年の飲酒で肝硬変などの肝機能障害を患っており安全に投与できない、という判断がくだされた可能性がある。

放射性廃棄物のせいなのか

さて、長々書いてきたが、実は私が書きたかったのはこれまでの内容ではない。作中における「放射性廃棄物」の扱いである。
今回、桐生は放射性廃棄物の管理施設における事故があったこと、その後にがんが発覚したことを述べていた。
これについて色々考えたいのだが、まず放射線被ばくにおいては「外部被ばく」と「内部被ばく」という概念がある。外部被ばくとは体の外に存在する放射性物質からの放射線が体に及ぼす影響である。一方内部被ばくは空気や飲食物などを介して体内に取り込まれた放射性物質による被ばくである。外部被ばくについては「時間・距離・遮蔽」の3原則があるため、今回のような状況では汚染が発生した状況下では対象者を速やかに放射線源から引き離し、除染(放射能汚染をなくす)必要がある。あの現場には桐生以外にも作業者がいたため、最低限の教育はなされていたとすればこの対応がなされていたと考えて良い。また、基本的に防護服の破損の有無には依存しない(汚染物質の付着の有無は関係すると思われるがひとまずここではおく)。一方、内部被ばくは体から放射線物質を取り除くのが難しいためより注意を要する。今回、桐生のマスクが破損した状態でドラム缶から液体が漏出しており、揮発性の放射性物質が存在していたのなら吸入していたとしてもおかしくはない。
ちなみに過去の疫学調査(V Archer ら、Cancer 34:2056, 1974 、G Saccomanno ら、Cancer 62:1402-8, 1988)によると、原子爆弾被害者においては非小細胞肺癌の割合が高かったのに対し、ウラン鉱夫においては小細胞肺癌の割合が有意に高かったとされている。
これを理由に関連性を示唆するのはいささか早計であると私は考えている。理由としてはウラン鉱夫における被ばくは採掘坑内における微小な放射性ウランを含む粉塵の吸入に伴う肺への放射線障害が主体であること、また原子爆弾被害者における放射線量よりは放射性廃棄物の線量は低いと考えられることである。後者についてなぜそのようなことが言えるのか、というと放射性廃棄物を搬送する前にドラム缶に詰める作業が原発や全国各地の病院、研究機関で行われているからである。これらは原子力規制庁などの定める諸般の法令に従って行われており、極めて高い放射能を有するものはそもそも敷地外に出すことすら敵わない。
つまり、一箇所に集積されるプロセスを踏んでいる時点で、短時間の被ばくであれば発がんリスクなどを有意に高めるほどの放射線被ばくはないと断じて良い。もちろん、長時間の作業は累積被ばく量の増加を招くため、それによる発がんリスクはあるが、それだったらそもそも事故の有無に関わらず、桐生は発がんするのである。
つまり、あくまで私見であるが、桐生ががんに罹患した事と放射性廃棄物処理中の事故には直接的な因果関係は存在しない、というのが私の見解である。
こうした混同を招く表現が特に注釈もなくなされていることは非常に残念だと感じた次第である。
放射線被ばくについて説明する機会が多いのだが、後述する通り放射線は適切に扱えば強力なツールになる。故に無知なままデマを飛ばしたり、過剰に恐怖したりすることは適切な態度とは呼べない(どこぞのカス党首のことである)。「正しく恐れる」ことが大切だと常日頃言っているし、これからも言い続けていこうと考えている。

作品に隠されたテーマ(深読みおじさんのあとがき)

ちなみにこの作品で大変興味深い対比は「放射線被ばく」によって発がんした、と匂わされた桐生一馬が最後に行う治療が「放射線治療」であるという点である。これは作中に登場する教団の教義に登場する「火」とも共通することなのだが、正しく使うことで文明を豊かにし、人々の暮らしを助けるものである一方、使い方を誤れば人々を危険に晒すものである。そしてこれは「極道」という存在もそうだ、あるいは「権力」というものもそうだと言っているのではないだろうか。強き悪を挫き、弱きを守るために武器を取る任侠こそが極道であり、社会を豊かにするためにそのノブレス・オブリージュを行使するのが財閥の代表であるところを、私腹を肥やすため、あるいは復讐のために好き勝手に振るう。それはやはり許しがたい悪である。
「正しい力の使い方」を知る桐生自身が最後に放射線という強大な力が「正しく使われる」場所に身を委ねるということ。これこそが、この作品が人々に訴えたい「正しい力の使い方」というテーマなのではないかと思う。

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