【リコリス・リコイルネタバレ注意】完全無欠の人工心臓はどのように作るのか

※この文章はTVアニメ『リコリス・リコイル』の重大なネタバレを含みます。

久しぶりにのんびりアニメを見る時間に恵まれた。後輩指導用のスライドや科研費の申請書類を作りながらの視聴を「のんびり」とするのならば、という前提だが。ともあれ、前々から気になっていた作品をようやっと見ることができた。それが『リコリス・リコイル』(2022年、A-1 Pictures)である。女子高生のバディものとして人気を博し、今年(2024年)には舞台化までこぎつけた他、どうやら新作アニメーションの話が進行しているようである。そして、もう1つ。この作品とは切っても切れない縁が私にはある。それがストーリー原案者のアサウラ氏である。私が大学生のころ、そのコンセプトとくだらなさ、そして何より生活にマッチして気に入っていたライトノベルシリーズがある。それが、アサウラ氏の『ベン・トー』シリーズである。主人公佐藤・洋は貧乏な一人暮らしの高校生。ある時、スーパーに行き、戦闘に巻き込まれてしまう。それは「半額弁当」を奪い合う狼たちの誇り高き戦いであった…。
この作品が大好きだった自分はもちろん全巻購入したし、トークショーを聞きに日帰り弾丸で東洋大学の文化祭にも行った。ブログではサバゲの話とクリスマスにクソまずいレーションを食べる話しかしていない人だったが(笑)。
アニメ化もされた本作で大いに人気を博したアサウラ氏だが、実はデビュー作はガンアクション物の『黄色い花の紅』である。サバゲが趣味、ということもあり実はガンアクションものへの造詣が非常に深い。その後も様々な作品で脚本や銃火器関連の監修を手掛けていたアサウラ氏だったが、2022年に『リコリス・リコイル』に参画。これが私の癖にぶっささったのである。

アサウラ氏の他の著作についてもぜひ目を通してもらいたいし、本作もぜひ通しで視聴していただきたいのだが、ここでまたしても医療者として気になる描写が出てきたので、これについて言及していきたい。


生じた疑問

主人公の一人、錦木千束(にしきぎ・ちさと)は先天性心疾患を抱えていたがある非凡な才能があったため、世界の天才を支援する「アラン機関」の支援で最新型の無拍動人工心臓を移植されている。ちなみにこの心臓の耐久期間は成人になるくらいまで、とされているが後に改良型も登場している。

ここで野暮ながら突っ込む。
「どんな人工心臓だよ。」

こうして、俺にとっての「リコリコ」アフターストーリーが始まった。

前提条件

まず与えられている前提条件を確認していこう。

  • 千束は銃弾を回避する能力に特化した天才で、幼少期よりファーストリコリスの制服を与えられるほどの実力であった。

  • しかし、先天性心疾患に罹患しており、激しい戦闘後に苦悶の表情を浮かべて倒れている。

  • その才能を知ったアラン機関の吉松シンジにより人工心臓が移植されたが、その耐久年数は成人になれるかどうかくらいまでとされている。

  • 手術の後、千束は不殺の信念を持つようになる。
    ※ここまでの出来事がいつに当たるのかは不明だが、少なくとも7歳時の「電波塔事件」ではすでに非殺傷弾を使用していることからそれ以前に手術が行われていることになる。

  • 人工心臓は当時の最新技術の数段階先のテクノロジーが使用されており、小型かつ無拍動型とされている。

  • 駆動には充電池を使用しており、定期的に体外から充電が必要となる。ちなみに充電池の容量は最大で約2ヶ月間。
    ※これは激しく動かなければ、という前提である。成人の平均心拍が60回/分であることから計算すると60×60×24×30×2=5184000回。キリが悪いのでおそらく一般的な心拍500万回程度の血流が担保されている、ということだろう。

  • 作中において千束が生命維持に必要な点滴・注射や内服薬など投薬を行われている描写はない。
    ※厳密には定期検診の際に栄養剤の注射をされている、という描写があるが、人工心臓の維持に必要な薬剤であればそれを千束に隠す必要がないため、これは無関係と考えて良い(千束がポンコツで人の話を聞いていない可能性も多分にある)。

後に改良型が埋め込まれているが、こちらについては言及がないため考察困難である。

千束の先天性心疾患は何か

まずは先天性心疾患についての基本的な知見をまとめる。人間においては心臓は2つのポンプが横並びで接続された状態と考えてよく、それぞれが全身に血液を送る体循環系と肺に血液を送る肺循環系を回している。より正確に記載するならば左側のポンプ(左心系)から送り出された血液は全身を巡った後、右側のポンプ(右心系)に戻って来る。ここから今度は体内の二酸化炭素を排出し酸素を吸収するために血液は肺へと送り出され、その後左側のポンプに入る。
先天性心疾患というのは有り体に言えば、この経路のエラーがこのポンプ部で発生している、ということである。例えばポンプが送り出す血管あるいは流入する血管を間違えている(大血管転位、肺静脈還流異常)、ポンプ同士に穴が空いている(心室中隔欠損、心房中隔欠損)、経路が塞がっていたり狭い(Fallot四徴症、肺動脈弁閉鎖)などである。そして厄介なことにこれらが心・血管系の奇形、あるいはその他の領域の奇形と合併していることが多い。
全身に血液を送るポンプの不調は当然、全身の組織の機能不全につながるわけであり、小児期に死亡する可能性がある疾患も多い。そこで幼少期から手術を繰り返すことが多い…のだが、ここで注目すべき点として、千束は孤児、ということである。DAは孤児を引き取り、暗殺者<リコリス>として育成する機関である。最終的には身寄りがなく処分も簡単な人材であり、替えも効きやすい。千束がいかな類まれなる能力を持っているとしてもそれは銃器を扱えるようになる年齢以降の話であり、少なくとも3歳以下の時点ではその能力が未知数である。そんな「駒」に大手術を行うコストをDAが支払うとは思えない。つまり、生後すぐに大手術が必要な疾患は選択肢から外される。一方で、小学生以下の年齢で余命が規定される疾患となると選択肢は限られてくる。
先天性心疾患の中でもいわゆる「チアノーゼ性心疾患」と呼ばれる病態はこれから肺を経由すべき酸素濃度が低い右心系の血液が左心系へ流入してしまう右→左シャントで発生する。この疾患では生後半年以内にはチアノーゼ(低酸素)状態に移行することが多いため除外される。一方で左心系の血液が右心系へと流入する左-右シャントを有する「非チアノーゼ性心疾患」は発症が遅い。軽度であれば成人期以降に症状が出現する。この中で最も頻度が多いのが心室中隔欠損(VSD)で約半数を占める。
VSDは左心室と右心室という血液を全身に送り出すポンプ側の小部屋の間に穴が空いて交通している状態であり、上記のようにより高性能な左側から右側へ血液が漏れていく。それだけなら「効率が悪い心臓」で済まされるが、長期的に見ると右心室へ負荷がかかりすぎ、最終的に左右の圧力が逆転、逆に右側から左側への流入へと変化する(Eisenmenger化)。こうなると余命が短くなる(医療者は予後不良、と表現する)のは上記の「チアノーゼ疾患」で説明したとおりである。他にも多数の疾患が挙げられるがその殆どが現在では治療法があり、心臓移植が必要になる例は稀である。
そこでアプローチを変えてみよう。海外では日本と異なり盛んに小児への心臓移植が行われている(たまに大金を使って海外の待機リストに割り込む形で移植に挑む日本人の子どもが話題になる)。国立循環器病研究センターのHPを参考にするとこうした移植の適応になるのは

  1. 重度の心不全状態にある拡張型および拡張相肥大型心筋症

  2. 高度の心室拡張不全から突然死をきたす可能性が極めて高い拘束型心筋

  3. 解剖学的に外科的修復術が困難な先天性心疾患

    1. 左心低形成症候群およびその類縁疾患

    2. 著しい房室弁逆流と心室不均衡を伴う心内膜床欠損

    3. 重症エプスタイン病

    4. 左心室機能が著しく低下した重症大動脈弁狭窄

  4. 外科手術後の重症慢性心不全

  5. 高度房室弁閉鎖不全による重症慢性心不全

  6. フォンタン手術後の重症慢性心不全および重度なタンパク漏出性胃腸症

  7. 薬剤に起因する重度な心筋障害(抗がん剤等)

  8. 血行動態に大きな障害があり、外科的摘出がきわめて困難な心臓腫瘍

  9. 川崎病冠動脈後遺症による重度の虚血性心疾患および心筋梗塞を伴う症例

  10. 既存の薬物的および非薬物的治療に抵抗する致死的不整脈症例

  11. 遺伝性代謝性疾患の高度な心筋障害で、病変が比較的心臓に限局したもの

  12. その他

この中でしかし千束の状態と照らし合わせると先天性心疾患はもう少し早く発症しそうなものであり、1.や10.あたりのほうが有り得そうである。
冷静に考えると、DAが孤児を引き取るタイミングは何も生まれた直後ではないので他の疾患でも姑息治療後に引き渡した、とすることもできるのだが、後述の治療歴がなさそうなことやそもそも孤児院でそのレベルの治療を対応できるのか、という問題もあるため目をつぶる。
結局特定はできていないが、大胆な仮説として、千束の疾患は家族性の拡張型心筋症と推測する。拡張型心筋症を若年で発症する場合、遺伝子異常などがある。その場合、家族にも同様の疾患を有する可能性がありうる。千束の母親は千束を妊娠するも理由あってシングルマザーとなる。しかし、同時に自身も拡張型心筋症を有しており、千束出産後しばらくして他界。孤児院に預けられた後、DAに引き取られた、という妄想である。

人工心臓の特徴

全置換型人工心臓と補助人工心臓

人工心臓と言っても大きく2つに分けられる。生体内に完全に埋め込み、心臓の代わりを果たす全置換型人工心臓(千束が埋め込まれているのはこちら)と心移植までの間、体外から循環を補助する補助人工心臓である。補助人工心臓については国内外で複数のデバイスが開発されている。一方で全置換型人工心臓はその難易度の高さや採算性の悪さから現時点で実用化に至ったものは存在していない。

無拍動型人工心臓はどこまで進んでいるのか

これについては正直私が無知なだけだったのだが、調べてくると近年は無拍動型の人工心臓が研究の主軸になっているようで、人体に移植した症例報告もあった。患者は1ヶ月程度で死亡したが原疾患(アミロイドーシス)による死亡と記載されており、人工心臓の耐用性に言及はされていない。これについてはwikipediaから取ったのだが残念ながら元記事(英語)はすでにリンク切れとなっておりこれ以上の情報が得られなかった。そこでさらに色々と調べてみる。
本邦においても無拍動型人工心臓についての研究は進められており、2009年には科研費による研究も行われていた。

この実験では体内埋込式無拍動流完全人工心臓をヤギに埋め込みその動態を評価しているが、最終的に心拍動が持つ後負荷が有用に機能しないことや高速血流による溶血(赤血球が壊れること)が問題となっている。
ここまでを調べている時にこうした無拍動流型は「定常流型/連続流型」と称されていることがわかった。するとこれを英語に直せば論文にアクセスできそうだ。

2018年にFoxらは7.5cm程度の定常流型完全人工心臓のモデルを発表している。7.5cm程度のサイズで十分な血流が担保できるとしているが、血栓形成/溶血など種々の問題点について十分な解決が得られている状態ではなさそうである。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/aor.13080

2020年にはクリーブランドクリニック連続流人工心臓(CFTAH)を子牛に埋め込み血行動態を評価しているようだが、生命予後や長期生存といった評価までは至らずあくまで血行動態の評価にとどまっている。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/aor.13574

以上から、現時点では長期予後はおろか生体内に移植して安全性や長期予後を保証できる情報すら公開されていないということだ。
どうなってんだアラン機関

内服薬はいらないのか

上記でも書いたのだが、体内に異物を埋め込むということはそれを排除しようとする営みとの戦いとなる。種々の免疫反応の他、血栓形成も問題となる外、独特の血行動態による溶血が問題であることは前述している。免疫抑制剤や抗凝固薬の内服は必須となる。また、造血能を超えた溶血はすなわち貧血(本来の意味での)に相当するため、頻回な輸血が必要となる。
そういったトラブルがあるようには千束には見受けられない。
すごいぞアラン機関

どうやって埋め込んだんだ

千束の胸には傷の描写がない。これはとんでもない話である。
心臓手術で最も多く用いられる方法は胸骨正中切開と呼ばれる方式である。胸の真ん中を縦に切開し、胸骨とよばれる胸の最前面・真ん中にある骨を二つに割って左右に広げて心臓にアプローチする。言うまでもなくとんでもなく大きな傷が残る。また、近年ではMICSと呼ばれる傷をなるべくつけない手術方法が開発されている。これは左の脇から小さな器具を使って治療を行う手法で、心臓内の弁置換や冠動脈バイパスなど一部構造を修復する際に使用される。だが、これらの傷と思しきものが見られないのである。
幼少期の手術だからでは、と思った人もいるだろうがそうでもない。友人などで子供の頃の怪我や手術で大きな跡が残っている人はいないだろうか。現在の形成外科の技術を持ってしても傷跡を完全に消すことはできない。目立たないようにすることはできるが、それにも限度はある。いくら化粧をすると言っても普段から人に見せるわけでは無い胸元をあの千束が毎日化粧するとは思えない。また、胸元があらわになったのは健康診断の回であり、健康診断に化粧や香料はご法度、というのは常識的な話である。つまり、千束の心臓は通常と異なるアプローチで埋め込まれたか、とてつもなく高度な創傷治癒技術を併用して手術後の縫合が行われたことになる。
早くその技術を公開してくれアラン機関

おわりに

残念ながら、錦木千束の人工心臓は現在の技術力では説明しきれない部分が数多く、フィクション的な側面が強いという結論になった。
しかし、電圧を用いた充電、超長時間作動型バッテリー、そして無拍動型人工心臓など現在開発が進む技術や最先端の技術が散りばめられており、荒唐無稽とも言い切れない絶妙なラインを攻めている。
生死の境を彷徨った殺しの天才が生を賛美する矛盾。
不殺を誓う殺しの天才に「生者の証」とも言える心拍動がない矛盾。
そのアンビバレンスさこそが錦木千束の魅力と言えよう。

現在、続編が製作されているというリコリコ。今後の展開を待ち、私の予想が当たっているかも楽しみにしたい。

そして、もしまだ見ていないのに最後まで読んだそこのお前。いますぐ全部見ろ見なさい見てください。

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