熊谷めぐみ & 横井まい子|ART & ESSAY《10》|螺旋にとらわれて
貧乏な田舎牧師の娘として生まれた、若い女性である「私」は、マイルズとフローラという幼い兄妹の家庭教師の仕事を得る。不安を押し切り屋敷に赴いた「私」は、兄妹の美しさに魔法にかかったように魅了される。家政婦のグロースの協力も得て、「私」の仕事は順調に見えた。ある日、幽霊の姿を見るまでは。
ヘンリー・ジェイムズが書いた『ねじの回転』は様々な解釈を許容する。作品のほとんどを占めるのは、家庭教師である「私」の一人称の語りである。若く、美しく、雇い主に憧れを抱きながらも、大きな不安を抱えてエセックスのお屋敷にやってきた彼女は、愛らしい子供たちを愛しながらも、次々と現れる奇妙な出来事に心を乱していく。
様々な疑念や怪奇が一人称で語られる物語。「信頼できない語り手」である家庭教師の話を、読者はどこまで信じることができるのだろうか。幾通りもの解釈を内包している点も、本作の大きな魅力である。
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マイルズとフローラを一目見た時から、家庭教師は子供たちに夢中になる。ほとんど崇拝にも違い気持ちで、無垢な彼らの魅力をあがめ、そんな子供たちを憧れの人から任されたという事実に自尊心が満たされる。でも、子供たちは本当に何も知らない純真無垢な存在なのだろうか。本当は二人そろって、「私」を欺いているのではないか。
物語全体の語り手であるダグラスが、クリスマスに語り始めたのは、彼がかつて憧れ、20年以上前に亡くなった家庭教師の女性が若い頃に体験した恐ろしい物語。少しずつねじを回転させるように、恐怖に囚われていく。
横井まい子が描いたのは、可愛らしさと品格を備えた、美しい子供たち。兄のマイルズは10歳、妹のフローラは8歳。天使のように輝いている。
だが、子供たちの若さとは対照的な背景の老木は、奇妙にねじ曲がって、複雑に絡み合っている。まるで、自分自身の意思ではもう抜け出せないところにきてしまった「私」の不安を体現するかのように。
美しい鳥は何かを告げるように、老木と子供たちの間を飛んでいる。マイルズが持つ本には何が書いてあるのだろう。本当に読みかけの本なのだろうか、それとも「私」が危惧する通り、家庭教師を欺くための道具なのか。
油彩の絵画を囲むのは、鉛筆で精密に描き出された植物たちである。その印象的な対比は、『ねじの回転』を読む読者が自然と抱くであろう、ある疑問と響きあう。嘘をついているのは、本当に子供たちの方なのか。子供たちの姿は、語り手の語りという枠を通じて始めて読者に提示される。だが、その枠は、ありのままの姿を映し出しているのだろうか。
屋敷にいる「私」の立場は非常に不安定なものである。中産階級の女家庭教師(ガヴァネス)特有の複雑な立場や雇用先での孤独、雇い主である彼らの叔父への思慕が、「私」の見方を狂わせた可能性はないのか。彼女の他に誰も幽霊を見ていないのはなぜなのか。
美しさと奇妙さ、若さと老獪さ、未知と不安が巧みに織り交ぜられた、観る者を惹きつけて離さない本作は、『ねじの回転』のように、多様な解釈を許容する魅力的な作品である。
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作家名|横井まい子
作品名|森の螺旋
油彩・綿キャンバス・石膏・鉛筆
作品サイズ|24.5cm×18.5cm(オーバル)
額込みサイズ|37cm×31.5cm
制作年|2024年(新作)
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