![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32168920/rectangle_large_type_2_291ecdb36f68157b0eb65d53123e1d61.jpg?width=1200)
ESSAY|ポーツマスに今も残るディケンズの生家
Text| Megumi Kumagai
イギリス南部ポーツマス。
後にヴィクトリア朝を代表する作家と言われることになるチャールズ・ディケンズは、1812年2月7日にこの港町で誕生しました。
ポーツマスに行けば、チャールズ・ディケンズ・バースプレイス・ミュージアムとして公開されているディケンズの生家を今でも見ることができます。
1809年にディケンズの父親ジョンは、仕事の関係で妻エリザベスとともにロンドンからポーツマスに引っ越してきました。
夫妻はこの家で暮らし、最初の子供である娘フランシスが生まれ、続いて第二子で、長男でもあるディケンズが誕生しました。
ディケンズの生家は閑静な住宅街の中にあります。あまりにも周囲に溶け込んでいるので、不意に視界に入ってきて驚くほどです。
世界各国から人が訪れていることを示すように、複数の言語に対応したパドル型の解説が用意されていました。日本語版もあります。
ディケンズがこの家に暮らしていたのは、実はわずか数か月。一家はすぐに同じポーツマスの別の家に引っ越します。
時はジョージ朝、リージェンシーの時代。
ヴィクトリア朝とは違う生活を見ることができます。
夫妻が訪問客を迎えたであろうパーラー。
ミュージアムにある家具は、実際にディケンズ一家が使用していたものでなく、19世紀初頭の典型的な中産階級の暮らしを再現したものです。家具や壁紙は現代の複製とオリジナルのものが混在しています。中にはヴィクトリア朝のものもあるので、厳密にすべてを揃えているわけではないようですが、なるべくその当時のものを用いて雰囲気を再現しています。
事務官としてドックの海軍経理局に勤めていたジョン。この頃の一家の暮らしは、なかなか恵まれたものだったように見えます。
写真中央の暖炉の前に置かれているのは、ファイアースクリーン。暖炉の火が女性の顔を火照らし赤ら顔になってしまうのを防ぐ目的で使われました。暖炉の横にあるのは、リージェンシーの時代の一般的なランプです。
こちらは、ダイニング・ルーム。
壁紙やカーテン、カーペットは複製で、当時のデザインを元に作られています。テーブル、ダイニングチェア、サイドボードは1800年頃の家具で、ドレッサーは18世紀半ば頃に作られたものです。
続いて、ディケンズが誕生した寝室へ。
こちらは1810年に作られたベッドで、アーチ形の天蓋が特徴の19世紀初め頃の典型的なデザインのものです。パッチワークのベッドカバーは1870年頃のものということなので、やや後の時代のものになります。
18世紀に作られた松でできたゆりかご。
ディケンズも赤ん坊の頃はこうしたゆりかごで眠っていたのでしょうか。想像が膨らみます。
水道設備がなかったため、洗顔はこのような洗面台ですませ、使用人が湯を運び、使用後の水を捨てていました。
ディケンズ・バースプレイス・ミュージアムには他にもディケンズが実際に使用した貴重な品々が展示されていますが、そのなかでも最も重要な品と言えるのがこちらの長椅子です。
1870年6月9日、ディケンズはこの長椅子の上で永遠の眠りにつきました。
このディケンズ生誕の地では、ディケンズの誕生と死の両方にふれることができます。
最後に、紹介するのはこちらのキッチン…だった場所ですが、現在はミュージアム・ショップとして使用されています。
ミュージアムのオリジナルグッズもあり、見学した後は何かしらお土産を買いたくなること間違いなし(?)です。
チャールズ・ディケンズ・バースプレイス・ミュージアムで、ディケンズの人生と19世紀初頭の中産階級の暮らしにふれてみませんか?
*
↓モーヴ街MAPへ飛べます↓