薔薇の名前を読む

エーコさんが逝かれてしまったので、追悼の意味を勝手に込めて薔薇の名前を読み返してる。ハードカバーの単行本だ。昔も本にそうそうお金は掛けられん生活だったけど今よりはマシだったわけだとか、要らん事を思ったりする。だが実は下巻が行方不明で少々焦ってるからゆっくりと読んでいる。とてもゆっくりと読んでいると、色々な事が気になって更にゆっくりと味わうように読んでいる。

基督教の闇が浮かび上がり社会の恐ろしさに慄く事はまぁ西洋の人には当たり前の事なのだろうけど、日本のそれとは規模が違って凄まじいなどと余計な事を考えてまたゆっくりとなる。

そこにまた結城さんの呟きなどが殊更気になり基督教と基督教徒の恐ろしさに迄気持ちが向かう。

さて詳細が気になりググってみると松岡正剛の千夜千冊に行き当たる。彼は何と書いているのか。

そこで、

熟練した旅人には“旅の勘”がはたらくように、読書にもいわば“読勘”とでもいうものがあるのだが、どうもボルヘスやディックやピンチョンで鍛えた“読勘”では、この作品は読み通せないぞという気がしたからである。

に行き当たり、何やその程度で偉そうに書いてはるんか?とちょっと安心したようなやはりそうなのか的な思いが浮かんで、その先を読んでみる気が三分の一くらい失せた。

まぁそんな話。結局謎は謎のままだ。そこが良いのだけれど。

因みに、昨日初めて訪れた河原町の新装丸善さんは当然エーコの特集?みたいなんを其処此処で展開されてて、そのうちの平台の一つに画像集みたいなのがあった。高かった。あんなんはもうwebの画像付きリンク集みたいなんで十分なんですけど、、、と思った事も忘れそうだから書いておこう。

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