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ぶっ〇した方が早い③ アドバンテージ

前回

 さすがにそろそろ、外から見える事実ばかり書き連ねてもつまらないだろう。しかし、私がいかに兄とはいえ、話せることに限りがある。
 というのも、新橋九段が段位を得たのは大学に進学して実家を出た後。つまり私はあまりその様子を見ていないのだ。そして最大の問題は、新橋九段について語ると自分の個人情報も明かすことになってしまう部分もあるところだ。
 私はリスクを回避するために実名や顔など、リアルが割れるようなことをネットに投稿していない。その範囲で言えることしか言えないのだ。
(顔については実質流出したようなものだが…)

 私は一卵性の三つ子としてこの世に生を受けた。確率は200億分の1だそうだ。初めて知ったが、すごいな。一卵性は一つの受精卵が二つ以上に分かれて生まれたもので、ほぼ100%同じDNAを持つ様だ。
 もちろん小学校と中学校は同じ。三つ子はその物珍しさから、環境が変わった時に向こうから声をかけてくる可能性が高い。最初のフックとして一種のアドバンテージを発揮する。

 私と新橋(とついでにもう一人)の間に明確な『性能差』が生まれたのは中学の頃。小学校では大してテストの点数に差が無かったのだが、この辺りから大きな差がつき始めた。私の方が低く、新橋の方が高い。
 とはいえ、私はあまりその辺を考えて生きてはいない。高校に進学してからも赤点回避に全力を尽くすのが基本スタイルだった。
 ちなみに私は大学入試をAOで済ませたタイプ。進路指導の先生とみっちり小論文を特訓して突破した。英語の成績が壊滅的だから仕方ねぇんだ。

 『成績が高ければ偉いわけではない』という負け惜しみめいた言葉が、まさか負け惜しみでなく実感として現れることになるとは思いもしなかったが…。

 私と新橋は高校まで同じところに通っていた。(もちろん学校名は明かさないが、卒業した著名人の名前を二人挙げればわかる人にはわかるだろう)
 学校として悪いところではなかったが、国公立に進学するなら進学校面はできない場所ではある。センター試験100日前に問題集買うってお前…。
 高校に進学すると、ある現象にぶち当たると言われている。高校というの大抵、自分の成績に合わせて選択するので、中学まで成績トップであっても急に点数や順位が落ちるという現象がある。
 新橋は中学時代、成績は上位の方であった。上から5位以内なら高いだろう。しかし進学した場所が場所だけに、高校でも校内の進学クラスでの上位維持が続いた。

 人間というのは折れる経験が案外必要なのだろう。折れずに来れた人間の末路があれだ。偶然とはいえ、その高い鼻柱をへし折られずに生きてこれたのはアドバンテージなのだろうか。
 自分よりすごい存在を認知できれば、驕ってはいられないことなどわかるだろうが…。

 そうはいかないのかもしれない。
 中学の先生が「下を見て安心するな」と言っていたのを思い出す。当時は向上心を失うなという意味だと思っていたが、私はここに来て恐ろしい真の意味に気づいてしまったようだ。常に自分より下だと思える存在がいると、自分よりすごい存在がいたとしても、下に目を向けて安心出来てしまうのではないだろうか。
 極端な話、自分が今パッとしない、もしくは苦しい状態に置かれているとして、それでも一日3万円の債務が積みあがる人間を見ると「いや、あれよりはマシか…」と思うあれのクソデカイやつである。

 それを一時の休息、もしくは足るを知る材料とするのならまだいいだろう。世の中には自身の力ではどうしようもないことは多い。しかし、それを常識の不足や良心の欠如という解決しなければならないものに向けてしまうのは危険だ。

 まぁ、何ともまとまりのない話で申し訳ないが、言い訳をさせてもらえばどこまで明かしていいか前述の理由で悩むのもある。
 ちょっとした思い出話として受け取ってほしい。


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