私の言葉で生きていたい
人にみせることを前提として文章を書くと、なんでこんなにもつまらないモノになっちゃうんだろうね。
お酒飲みながら料理したり、昼間にベッドにいくのもめんどくさくて床に直接大の字になってるときのほうがまだ面白いこと考えてるし、啓蒙的でなくていい。
人に見せるとなった時点で言葉たちが踵を返して遠ざかっていく。そうなったあと、私から(本当に私からなのかすら怪しい)発される何かは胡散臭くてみてられない。書かないほうがましだったなって思うもんな。
自分の考えを自分が思ってるままに他人にわかってもらうことはできない。私は私一人しかいないから。
わかってほしいの?と言われるとそれも多分違うと思う、わかるなんて言われたらそんなわけないだろ!ってもやもやしちゃうだろうから。
でも、誰もが開けるプラットフォームで♡や👍ボタンで自分が評価される環境で、たぶん誰にもわかってもらえない自分でもよくわからない考えを露呈するのって怖い。全く反応がない時とか、自分の言っていることが変かもって分かってたけどそれだけじゃなくて否定までされている気がして、四面楚歌な気分で。被害妄想ですね。
それに自分の思うことばかり書いてると、やれ自分に酔ってるだの自己愛強すぎだのおまえの話に興味ないだの言われるじゃないか!自分の考えを語る以外に何語ればいいの!?って思う。
それにそういう人たちだって語っているのは自分の話だ。主語が抜けているからそうじゃないと思ってるのかもしれないけど、何を語るにしたって本当は「私は」という言葉が入ってくるはずだ。別にそれは悪いことじゃないし、そうやって人と人は社会の中で個人でいられると思うのにな。
自分の気持ちや考えや言葉を無理に社会が好きな形に整えて。
その無理に歪められた言葉たちのように
私もこの社会で生きていくために都合よく作り替わっていってしまうのかなあ。
それはすごく悲しいことだな。
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