ウクライナの戦場(1)セベロドネツク リシチャンスク へルソン
ウクライナ
ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻が始まってから1年が過ぎた。誰しもがこの悲惨な戦争が一刻も早く終わってほしいと願っているところだが、積雪の残る東部地域では文字通りの死闘が続いている。戦況については毎日のように報道されているし、識者や各種情報機関の分析を参照するのも自由だ。そのものズバリの戦争研究所という研究所があるのを知ったときはびっくりしたけどね。ここでは公表されている衛星画像をもとにしてウクライナの大地に残された戦火の痕跡を見ていくことにしよう。
まず地図画像によって今回取り上げる地域を示しておこう。これがウクライナの全体。右がロシア、上はロシアと同盟関係のベラルーシ。左は上からポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、一部の地域を新ロシア派に支配されているモルドバ。
右上にハルキウ ( Kharkiv )。右端にリシチャンスク ( Lysychansk )。左下端にへルソン ( Kherson )。
中央上、リシチャンスクの隣にセベロドネツク ( Sievierodonetsk )。その斜め左下に、現在ロシア軍が猛攻撃しているウクライナ軍の拠点バフムト ( Bakhmut )。
右上からルハンスク州のセベロドネツク、リシチャンスク。左下にドネツク州のバフムト。
ドニプロ川をはさんでへルソン州。川は右から左に流れている。
セベロドネツク
ドネツ川をはさんで上がセベロドネツク、下がリシチャンスク。参考衛星画像は2022年7月22日。ズームイン。
中央に注目。
中央に見えるのはアゾト化学工場。
これは戦前の工場の様子。硝酸アンモニウムの最大級の工場だった。ウクライナ軍の抵抗の拠点となり、従業員、家族、地元住民ら500人以上が立てこもった。6月に激しい戦闘があり、下旬に撤退命令が出された。撤退が終了したのは7月3日とされる。
戦前の参考衛星画像は、2021年7月13日。
参考衛星画像は2022年7月2日。ほとんど撤退は終わっていたのだろうか。破壊の状態がわかると思う。以下、戦前と破壊後の画像をセットでズームイン。
戦前、2021年7月13日。
2022年7月2日。
戦前。
破壊後。
リシチャンスク
撤退したウクライナ軍はドネツ川を渡って左、リシチャンスクへ移動した。左下端に注目。
さらに追撃してくるロシア軍を迎え撃ちながらウクライナ軍は撤退を続けた。撤退ルートは右から左。ここには変電所があった。参考衛星画像は2022年7月2日。ズームイン。
上は変電所。下は電力会社の施設か?
戦前の変電所。2021年8月26日。
破壊された変電所。2022年7月2日。
戦前の様子。
破壊後。道路をはさんでつくられた塹壕が見えるだろうか。ウクライナ軍が撤退の際につくったものだろう。
左下、砲撃の跡もある。
へルソン
上がドニプロ川右岸、下が左岸。左中央にへルソン市、その右にアントノフ大橋。右上にカホフカ橋、見出しに拡大画像。
アントノフ大橋。2022年8月25日。ズームイン。
橋の北側にあるロータリーを見てみよう。
まずこれが戦前の状態。2021年11月11日。
ところがロシア軍が塹壕を掘り、陣地をつくっていた。2022年8月25日。
さらに左に伸びている車の長い列が見えるだろうか。先頭は川岸のフェリー乗り場に続いている。
なぜ橋を使わないのか。
ウクライナ軍は、この橋がロシア軍の重要な補給路になっているとして7月27日に攻撃し、通行不能にした。
ここが攻撃によって損傷した箇所。これでは車は通れないね。結局この橋は11月9日、ロシア軍が左岸に撤退する際に爆破し、完全に崩壊した。
アントノフ大橋から南の道路はクリミア半島につながっているのだが、その途中にはロシア軍の小規模の陣地があって、塹壕が掘られている。この部分。
戦前の様子。何もない。2021年11月11日。
2022年8月25日。ズームイン。
クリミア半島へ南下してくるウクライナ軍をここで迎え撃つための陣地だね。
見出し画像は、カホフカ橋の北側の橋のたもとに築かれたロシア軍の陣地。塹壕が張り巡らされている様子がわかる。2022年8月7日。
この戦争に停戦、終戦の展望、先が見えているかと問われれば、否と答えるしかない現状だろう。雪解けの時期が終わればもっと激しい戦闘が東部、南部で始まるのかもしれない。それでもやはりウクライナの人々を信じ、応援したい。
注記)
地図画像・参考衛星画像は、Esri が運用する World Imagery Wayback からスクリーンショットしたものを使用しています。
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