見渡すことで 制約から自由になる
「人間の意識は,制度によってつくられる」とよく言われます。言い換えると,私たちが「どう考えるか」「どう行動するか」の基準は,社会や学校,会社,家庭の中で,多くの場合,気づかないうちに,固定観念として刷り込まれてきているということです。たとえば,次のようなものです。
・男性は強くあるべきだ
・女性は理系に向かない
・家庭を持ってはじめて一人前になる
・日本人は自己主張が苦手である
・友達は多い方がいい
・頭の回転が早い人は頭がいい
・退職したら第一の人生が終わる
一度は耳にしたことのある固定観念であると思います。「無意識のバイアス」と言い換えてもよいと思います。こうした固定観念や無意識のバイアスは,制度によってつくられ,気づかないうちに刷り込まれてきているがゆえに,個人にとっては自覚がなく,集団の中で「あるべき価値」や「道徳的規範」として正当化されています。そして,法制度や社会システム,学校教育や家庭の中で,その正当性を疑うことなく,再生産されていくことになります。自分が所属する集団の中から外に出て別の価値観や実例があることに気づく機会がなかった場合,「こういうものだよね」「こうするのが当たり前だよね」というような思考になり,この思考が世代から世代へ受け継がれていく,ということです。
上述した固定観念の例について,さまざまな見解があるかと思いますが,必ずしも正しいとは言い切れないように思います。たとえば,「退職したら第一の人生が終わる」というのは,社会から刷り込まれたことによる勘違いではないかと。私が働いている大学院には,社会人学生が多く,中には,実務で経験を積んだ50代〜60代の方々も在籍しています。この方々が共通して時々こんなことをお話されます。「まあ,もうすぐ退職なんで」・・・この言葉には,「定年後は第二の人生で,還暦で第一の人生は終わってしまう」という,社会から刷り込まれた固定観念が表れているように思います。しかし,この「退職」というトランジションを,「前半戦の還暦までが練習であって,これから本番の後半戦が始まる」というような視点で捉え直すことで,後半戦の人生がずっと楽しく有意義なものになるのではないかと思うのです。大学院で取得した学位を,新たなフィールドでお金を生み出すことに繋げることもできるのではないかなと。
私自身の人生は,10代〜20代が一番つらくしんどい時期でした。振り返れば,所属する集団の「制度」や,その中で良しとされている「価値観」や「規範」に縛られていたことが,大きな原因であったように今となっては思います。「群がって女子トイレに行く」,「机を並べて皆でお弁当を食べる」,「数学の問題を早く解ける人が偉い人」,「口ベタな人より饒舌な人がすごい人」,「やりたい仕事に就けた人は勝ち組である」,「女性の幸せは結婚して子どもを持つことである」などなど。10代〜20代は,どの規範からも,まあ見事に外れていました,笑。こうした制度や規範や価値観が,社会や集団によって「つくられたもの」で「刷り込まられたもの」であることに気づくことができたのは,30代になって海外の大学院に留学した後のことです。慣れ親しんだ国や社会や集団を離れて「外」に出たことで,自分を縛っていた様々な固定観念を批判的に見ることができ,さまざまな制約から自由になれたことで,生きるのが楽になったように思います。
もし,昔の私のように,日々の生活の中で「なんかしんどいなー」「多数派の価値観からずれている自分は変なのかなー」と感じることがあれば,それはあなたが悪いのではなく,制度や社会システムがあなたを縛っていることが原因かもしれません。なので,慣れ親しんだ場所から,一歩外に出てみることが,しんどさの解決につながるかもしれません。あるいは,外に出なくても,上から俯瞰して全体を「見渡してみる」とよいと思います。これは,刷り込まれている可能性のある制度や価値観について「考えること」でもあります。
私たちはなぜ学ぶのか。それは,私たちを縛っている制度の全体を見渡すための「ものさし」を,できるだけたくさん自分の中に備えるためではないかと思うようになりました。「ものさし」が1つだけだと,1つの見え方しか知らないことになります。でも,2つ,3つ・・・とものさしが増えていくと,複数のアングルから制度を観察することができるようになります。
制約から自由になること。私たちを縛っている制度から自由になること。知らず知らずのうちに刷り込まれた固定観念から自由になること。考えることは,見渡すこと。そのために,ひとは学び続けるのかなと思います。