西洋と東洋の自然観
オランダでの日本人高齢者施設建設プロジェクト、フルサトハウスのディベロップメント勉強会4回目、最終日。
その中の1つのトピックが「里山」ライフについてだった。
オランダには当然山なんてない。
ただ里山活動は、日本の自然に対する姿勢や捉え方をよく反映している。
畏敬を覚える自然との境界線にあるグレーゾーンが里山。人間を自然の一部として捉え、人間がむしろ積極的に関与することで生態系を維持していくのが里山。
参加者の方から
「アムステルダムボス(オランダ最大規模の公園)を自然だと思うか、否か」
という問いが提起された。
管理された自然と純粋な自然(Rαw Nature、とその場では表現された)。
中には虫が苦手だから私は距離を置きたい、窓から眺めるのでいいという方もいた。
印象的だったのが、参加者の一人(オランダ人)から
「人間が枠をつくればそこが勝手に生態系になっていく」という発言があったこと。
この時、私は何か違和感のアンテナがこの時立った。
その違和感が翌日こうやって緑豊かな公園を自転車で疾走している中で蘇ってきた。
人間の神性、というか、万能性、のようなものをここの人たちは信じている、ととても感じることがある。
私はそれを歓喜の目で見ていた。
それがまさか自然までつくれる、と思っているとは。
日本人である私の感覚から言うと、おこがましい、となってしまう。
この感覚がどこから来るのか以下の図を書いてみた。
もっと言えば、自然と人間の円に違いがなくそれらは一体になっている、という認識もあるかもしれない。
面白い文献を見つけた。
日本の自然観ー西洋との比較ー /東京大学名誉教授 渡辺正雄氏
https://www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/01/nenpo01-1.pdf
印象的だったのが、西洋は自然を科学的目線で見るのに対し、東洋は自然を「詩」で見るというところだ。
「愛でる」ということではないかと思う。
何か思い向くままに管理したり、作成することを前提としない。
自然に畏敬の念を感じるということは時に予測に反した事象をもたらすということだ。日本は地震や土砂災害の歴史を辿ってきたが、オランダもずっと洪水と戦ってきた。しかしそんな脅威をもたらす自然に対する姿勢が若干違うように思う。いかに相手の動きを分析し、計画し、管理していくかという姿勢で自然と対峙するのか、それとも脅威を感じつつも自然から享受するものの大きさを味わい、持ちつ持たれつの関係を育んでいくのか。
私は優柔不断だ。この二項対立でどちらを選ぶかという選択をしたくない。
オランダは世界最高峰の水害管理技術を誇っている。明治時代に日本の木曽川の水害対策の基礎づくりに貢献したのはオランダ人だった。
西洋の技術力、秩序を作る力が私たちの中にも根付いている。その強さ、豊かさを受け取りつつも、日本という地で息づいてきた自然と共に在る心、美しさを再発見していくこと。そしてそれらが交わるところに何が生まれるのかを私は見たいと思う。
対話を始めよう。
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