好きな事だけでなく、嫌いな事を語るのも大事
嫌いなことよりも、好きなこと。
嫌いな話題よりも、好きな話題。
世間では
そっちの方が好まれます。
しかし
誰もが好きな事
しか語らなくなったら。
好きなことしか
話題に上らなくなったら、
みんな自分が好きなこと以外に、
興味がない社会になったら、
みんな自分が好きなことしかしない、
好きなことに関して しか
発言・行動しない、
ってなったら
悪事を働く者を咎める人が
いなくなる。
悪が野放しになる。
悪事の被害者は声を上げられなくなる(被害者の声は、「好きなこと」に当てはまらない、ネガティブな発言となるから)
実際ポジティブしかない(許されない)社会があります。
そう、宗教です。教祖や幹部が私腹を肥やすのを、信者は誰も咎めません。
悪事を働く者を咎める行為が好きな人は、そうそういません。悪事を咎める人は、それ(悪事)が不快だから、嫌いだから、咎めているわけです(魔女狩りを除く)。
そして それは 必要なもの
と考えます。
社会の法改正も、強烈な事件などを除けば、最初は不快から不満の声が上がり、それがきっかけとなります。
好きなことを語るのも
嫌いなことを語るのも
両方大事。
何かが好きなのも自分
だし、
何かが嫌いなのも自分。