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豆腐屋一家4人殺傷 H.S(19)

事件発生

昭和27年12月22日朝6時半ころ、兵庫県神崎郡船津村の40代夫婦が営む豆腐屋にいつもの時間に炊事お手伝いで訪れた女性が表戸が閉まっており、裏戸が開いてることから不審に思い家の中の様子をうかがった所、階下の部屋でこの夫婦と三男(9)、長女(5)が血の海に倒れているのを発見しびっくりして警察に届け出た。
駆けつけた警察官が現場を確認すると夫婦とその長女はすでに絶命していて三男は瀕死の重傷で病院に運ばれた。
凶器は斧で体の一部が千切れるほど滅多打ちにされいたが、室内を荒らされた形跡はなく怨恨による犯行と推測された。
二階で寝ていた長男と次男は難を逃れたが物音は聞いていないという。
発見者の女性は同年春から体調を崩していた豆腐屋の奥さんの代わりに炊事手伝いし「奥さまは最近は少しずつ回復していた」という。
近所の人の話では主人は熱心に働き出稼ぎにも行き、長男は家業の豆腐屋に真面目に従事し家族仲は悪くは見えず恨まれるような家庭には見えなかったという。【神戸52.12.22夕】

逮捕されたのは…

調べを進めると事件時に二階にいた長男S(19)の話がどうにもおかしい。
任意取り調べで刑事に詰められて23日午後にあっさりと犯行を自供した。
22日の深夜2時に皆が寝静まった頃に一緒に寝ていた次男に気づかれないように床を抜け出し、斧を持って階下へ行き、先ずは父親に一撃をあびせその後は母へそれから長女、三男と次々に斧で滅多打ちにした後に外部から侵入したかのように裏戸に工作し二階へ戻り、朝方お手伝いの女性の悲鳴で何食わぬ顔で階下へ降りてきたという。
動機については小遣いが少ない、最近お見合いの話を父親が勝手に断ったことに不満があったようだが、母親はSをとても可愛がっていたので何故母親や弟たちまで襲撃したのか?
Sが興奮していたこともあり少しずつ取り調べを進めることになった。【神戸52.12.24】

Sと家庭不和

興奮状態だったが24日午後になり落ち着きを取り戻し「私の単独犯だ」と自供。
動機については株に関心があり、朝早くから冷たい水をさわる豆腐の仕込みは辛い。株で一儲けするための資金で両親の生命保険が目当て。銀行に100円を下ろしにいった際に他の人の札束をみて犯行を決意し予め短刀も購入していた。Sは学校では勉強好きで文学に優れて新聞部に所属し重要なポジションも任された。
『いずれ若気の飛び立つコマで一時は悪しき魂にみいられることなきにあらず…』これはSが拘留中に新聞社に宛てた手記の出だしの部分だが文学が好きなことが伺えるであろう。
25日には差し入れの弁当をペロリとたいらげ、「話をするより文章が書きたい」と取調官に要求するほどであった。
Sは家業の豆腐屋が忙しいとの理由で高校を中退している。前出の通り父親との関係は悪かった。
殺された父と母は再婚で正式に籍を入れる前に妊娠した子がSだが父親は「俺の子ではない」と口癖のようにいい冷たく接した。たびたび「お前なんか出ていけ」と罵声を浴びせられ口論が絶えなかった。
母親が体調を崩したあともSが看病しながら豆腐屋を切り盛りしていたが、嫉妬深い父親はそれも気に入らなかったようだ。
Sは「何故自分だけがこんな辛い目に…」と周囲にこぼしていた。【神戸52.12.24 夕】【神戸52.12.25】

裁判の結果 

昭和30年4月21日神戸地裁姫路支部で判決公判が開かれた。
検察の主張は「保険金を狙った計画的で身勝手な犯行」だったが裁判長は「父親の変質的な性格によりSは日頃から虐待されていた。その影響で犯行時は軽い心神耗弱状態だった」と弁護側の主張を認めた形で懲役15年(求刑無期懲役)を言い渡した。
尚、瀕死の重傷だった三男は一命を取りとめた。
【神戸55.4.21夕】

近年はネット上を中心に刑法39条は悪法という論調が散見されるが、当noteで過去に取り上げた事例も紹介しこの記事を終わりたい。

心神喪失の拳銃少年
心神耗弱の通り魔少年K.M(19)

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