㉞ 釧路雑貨商夫婦強殺 水尻隆幸(19)
今でこそ依存症は世間にも認知され、犯罪とも密接に関係し、法廷では通院歴や治療法、監督者はいるのか?までやり取りされるが、当時はそんな概念もなかったのだろう。水尻がパチンコ依存症になり犯行を企てるまでを振り返る。
水尻という男
北海道の水尻隆幸(19)は中学卒業後は、両親の家業の手伝いをしたり、配送助手をしたりして特に目立った非行歴もなかった。母親のツテで製紙会社下請けの会社に就職するが、過重な作業内容、将来性などに疑問を感じ母親には相談せずに退職し、以降働かずに支給される失業保険金をパチンコにつぎ込むようになった。
連日朝からパチンコ店に入り浸り、とうとう金員に窮し以前の勤務先に給料日を狙い侵入し金員を盗み出した。
そのお金で友人らと同居するための生活用品一式をそろえ、またパチンコに興じ所持金が尽きるとパチンコ店店員になり、知り合いの店でバーテン見習いなどをしていたが、給料の前借りをし、これから冬を迎えるのに着る物すら買えずに、いよいよ立ちいかなくなり、以前盗みに入った元勤務先に盗み目的で侵入するも目的を果たせずにいたが、その元勤務先の取引先(水尻も出入りし可愛がってもらっていた)の老夫婦が営む雑貨商方で金員を奪おうと決意した。
【刑資189】
(最初の盗みがうまくいったために味をしめたか)
雑貨商夫婦強殺
北海道釧路市、昭和38年11月6日深夜に水尻は窓から被害者宅に侵入し部屋を物色していたが金銭が見つからず、被害者老夫婦が就寝している茶の間を物色し気づかれたら殺害もやむ無しと決心し、主人が寝返りをうった事が気づかれたと思い、手斧で頭を殴打し夫婦を殺害。通帳や時計などを奪い逃走した。
【刑資189】【昭和38年11月16日釧路新聞】
【昭和38年11月6日読売北海道夕】
逮捕
捜査は現場の証拠が不鮮明ですぐには解決はしなかった。あやしい者を片っ端から取り調べ、事件当日のアリバイも調べた。その結果、犯行前日に同僚のバーテンに「実家にいく」と言っていた水尻が実家には戻っていなかった事が判明しアシがつき水尻は同月14日に逮捕された。11月15日は水尻の20歳の誕生日だった。
【刑資189】【昭和38年11月16日釧路新聞】
※刑資189に登載の判決文見出しで誕生日が11月25日になっているが、本文では11月15日、釧路新聞でも留置所で誕生日を迎えたとなっているので25日は誤記載と思われる
裁判で死刑が確定
強盗殺人2
昭和39年4月27日 釧路地裁 無期懲役
昭和40年4月22日 札幌高裁 破棄自判 死刑
昭和41年2月2日 最高裁 上告棄却
地裁では未成年と反省が深い事を理由に無期、高裁で「被害者には以前世話になっていた。最近少年が生命を軽んずる風潮があるが軽視出来ない社会悪」として一審を破棄し死刑判決。水尻は立ち上がれずに看守に支えられてようやく退廷した。(新聞の見出しに『パチンコマニヤ』と書かれていたのが時代を感じさせる)
【刑集37巻6号】【昭和39年4月27日読売北海道版夕】
【昭和40年4月22日読売北海道版夕】
【昭和41年2月4日読売北海道版夕】
(近年のように依存症が世間に認知されていれば、両親の監督の元で治療し最悪な事態は免れたかもしれない)
※水尻の正確な死刑執行日は不明だが【日本の死刑】では昭和42年に札幌で少年が執行されたと記されている。