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❹犯行時17歳の死刑判決 F

戦後の旧少年法時代には犯行時に17歳で死刑を宣告された者が複数名いる。
確定し後に少年法が改正され恩赦になった鬼頭正一青木敏朗李祥根。一審判決後に少年法が改正され控訴審で無期になった看守殺しのKなど
このF少年もKと同様に控訴審判決前に少年法が改正されて死刑を免れた。事件の概要を記す。

いい牛骨があると誘いだし

昭和22年7月12日に熊本県安蘇郡のF(17)のもとに顔馴染みの奈良県の骨細工商のTさんとOさんが「いい牛骨はないか?」と5万円(国家公務員の初任給が3000~4000円の時代)を持参し訪れ、Fは「いいのがあるが現場まで遠いので今晩は休んで明日案内する」と返答。
同じ村に住むG(26)と相談、翌日に上益城郡の官林内(国有林)を7~8里も連れ回してくたびれ果てた所で橋の上でGと共謀し最後尾のFがOに背後から襲いかかり後頭部を棒で殴打し殺害。
異変に気付いたTが振り返った所に同様に一撃を加えTは川に転落し流されたが命からがら岸に泳ぎ着き、近くの官林事務所に助けを求め警察署に通報。この事件で2万円近くを奪ったが同月の14日にFとGは逮捕された。
Tさんは重傷だったが一命は取り止めた。

裁判

強盗殺人1、同未遂
熊本地裁の弁論で「Fは神経衰弱者で事件時は心神耗弱状態だったから減刑を願う」とあったが、法廷内での態度や諸般の事情により認められないとし、同年10月27日にFに求刑通りの死刑判決。直接手はかけていない共犯のGには懲役15年(求刑無期)の判決だった。
Fは不服として翌日に控訴した。
その後、昭和23年7月15日に少年法が改正されて犯行時17歳には死刑は適用できなくなり、昭和24年9月13日のFの控訴審では「少年犯最高刑の無期懲役(成人なら死刑相当)」を言い渡されてその後同年10月13日に上告を取り下げて確定した。
上記の判決理由や控訴審の求刑が無期、新聞では逮捕時に(18)になっていて数え年表記の件などから、Fは犯行時17歳で間違いないと思われる。
他にも犯行時に17歳で死刑判決を受けた者が複数いるようなので今後も紹介していきたい。

参考元
【熊本日日昭和22年7月15日と10月30日】
【西日本新聞昭和24年9月14日】
【熊本県警察史第3巻】【刑資227】

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