一審死刑判決破棄の少年達(6事件7人)❶❸❻⓫⓬⓭
ここでは一審で死刑を宣告された少年達の事件を紹介する。番号は一審判決順になる。
一審の死刑が二審で破棄された昭和の事件の判明している分は冤罪を除き全てこの【二章】で紹介している
内容を読んでいただき考察のお役に立てれば幸いである。
❶六甲山射殺事件のY(18-19)
昭和21年7月5日六甲山山頂の記念碑より約500m下った路上で郵便局員のTさんが左胸を拳銃で撃たれて亡くなっているのが発見された。
足跡などから同10日に大阪市内で徘徊していたYを逮捕。Yは復員後に自動車修理見習いをしていたが金を持ったまま家出し、その後は父親の友人M宅に身を寄せていたがその家にあった拳銃を持ち出して小金に困っての犯行だった。奪った金額は120円。このMも拳銃所持で取り調べを受けた。
強盗殺人1
昭和22年3月7日に神戸地裁で求刑通りの死刑判決。
同年6月25日に大阪高裁で無期懲役判決(判決理由不明)
余談だが当時の神戸新聞で記事の最初は仮名なのに文中では実名になってしまっているミスがある。
【神戸46.7.7、14、47.3.9】【刑資227】
❸滋賀県老夫婦強殺のU(18)とT(19)
昭和22年6月27日滋賀県高島郡川上村で80代の老夫婦が殺害され現金約6千円が奪われた事件。米を買い付けにUとTは被害者宅を訪れたが若年のためか高値をふっかけられて買えなくて困った事が動機。
強盗殺人2
逮捕された二人の少年に同年10月22日に大津地裁で求刑通りの死刑判決。昭和23年9月27日に大阪高裁で無期懲役判決(動機に酌量の余地がある?)
逮捕日不明。起訴は昭和22年7月14日。この年代の滋賀県は新聞記事が国会、滋賀県立にも現存していなくて困っているが今後も調査を続ける。刑資56号下に高裁判決文が登載されている
※刑資56では一審判決無期になっているが、朝日滋賀版では死刑判決となっている。その後に発行された刑資227号で56号記載の一審の無期判決は誤記載で死刑判決が正しいと訂正されている。
【刑資56】【朝日滋賀47.10.23】【刑資227】
❻群馬県豊岡村一家三人殺害のI(17-18)
群馬県碓氷郡豊岡村で昭和23年4月11日に達磨製造業のNさん方の次男が帰宅すると父と長女と次女が無惨な姿で殺害されていた。同居していたIが姿をくらましていて犯行現場の状況からIの仕業と断定し指名手配。
同月19日に逃げ切れないと思い愛知県中村署に出頭して逮捕された。厳しくされた事での恨みが犯行動機。殺人3
同年6月16日に求刑通りの死刑判決。
昭和25年5月4日に東京高裁で無期懲役判決(犯行時17歳の可能性?少年法改正?)
【上毛48.4.12、13、21、6.17】【刑資227】
⓫那珂町麦畑女性殺害のT(19)
昭和27年5月10日、福岡県筑紫郡那珂町の国鉄ガード下の麦畑で若い女性の変死体を登校中の中学生が発見した。空の弁当箱が転がっており女性のハンドバッグがなくなっていた。この辺りは人通りも疎らで2年前にも若い女性が殺害される事件があり未解決。
犯行時間帯は9時から11時と推測され13日に筑紫村で起きた強盗殺人事件と合同捜査が行われた。
同月15日に農家からリヤカーと米が盗まれており、リヤカーのあとを辿ると駅前で米を下ろしていた少年Tを発見し窃盗容疑で取り調べ中に女性殺害も自供し逮捕された。Tは少年院に入所歴がありこの事を隠して麦農家で手伝いをしていた。
強姦致死1、強盗
同年8月6日に福岡地裁で求刑通りの死刑判決。他に5件の窃盗事件でも起訴されていた。
昭和28年1月17日に福岡高裁で無期懲役判決(理由不明)
【夕刊フクニチ52.5.10~16】【西日本52.8.7】
【刑資227】
⓬愛知県味岡村一家5人殺傷のF(18)
昭和28年10月28日に愛知県東春日井郡味岡村の農業のMさん一家が襲撃されて3人が亡くなり2人が負傷する事件が発生した。
翌日に近くの田んぼで睡眠薬を飲んで倒れているFを発見し犯行に使用していたと思われる血痕のついた包丁を持っていたために留置し、後に犯行を自供した。
Fは妻との仲がうまくいかなくそれをMさんに注意されて恨み、また部落の農家の会計係をしていたがしばし横領し金に困っての犯行だった。
殺人3、殺人未遂
昭和30年5月25日に名古屋地裁で情状の余地は全くないと求刑通りの死刑判決。弁護側は心神耗弱を主張していたが精神鑑定の結果や関係者の証言などから善悪の判断が出来ない状態ではないとして認められなかった。
Fはその後に死亡し公訴棄却で裁判は終結している。存命なら少年死刑囚になっていた可能性は高い。
【中日53.10.29~30、55.5.25夕】【刑資227】
⓭平塚プール管理人若妻殺害のH(19)とI(19)
昭和29年10月29日のお昼の神奈川県平塚市で、海岸プール管理人のKさん(女性)が何者かに鋭利な刃物で切られて殺害されているのが発見された。幸いにもKさんの子供は無事だったが衣類などが奪われていた。
覗き防止のためにプールのまわりに高い壁があった事で死角が出来た事が犯行を隠す要因になってしまった。
脱ぎ捨てられたサンダルから家出中の同市内の少年Hが手配され翌月11月4日にHとIの二人の少年が逮捕された。彼らは潜伏先でも空き巣を繰り返していた。
強盗殺人1、窃盗
翌年の昭和30年6月27日に横浜地裁小田原支部で二人に死刑が求刑されて9月26日に求刑通りの死刑判決。
ここからが色々ある。同年の1月に女死刑囚山本宏子が精神病になったあたりから死刑廃止の声が高くなり第二東京弁護士会の正木弁護士を中心に『刑罰と社会改良の会』が発足され、同年3月には死刑廃止法案が提出された。
そんな中での少年に対する死刑判決だったので反対の声が大きく物議を醸したようで【灯をともす少年たち】に詳しく書かれている。
そんな声に押されたのか?被害者が一人だったからなのか?昭和31年12月4日の東京高裁で二人に一審の死刑破棄で無期懲役判決が出てその後に確定している。
【神奈川54.11.2~5、55.6.28、55.9.27】【刑資227】
協力:折原臨也リサーチエージェンシー様