㉑ 情婦に全て貢いだ末に 勝又清一(19)
昭和27年3月3日夜、借金の返済に困った勝又清一(19)は静岡県の御殿場市の役場に金員を窃取する目的で見つかったら殺害も厭わないと思い侵入し、就寝中の宿直員二名を薪割りで殺害し、現金とライター一個を強取した。
【刑集37巻6号】のこれだけを見るとただの強盗殺人に思えるが、犯行動機を当時の新聞から記す。
生活のすべてがF子(20)だった
勝又が全てを自供したたのは同年同月23日だったが、何故このような大それた事をやらかしたのか?は静岡新聞にて報じられている。
東京や横浜に働きに出てその後、実家に戻っていた勝又は昭和26年12月に栃木から流れてきたI方の接客婦F子(20)を大変気に入り昭和27年1月には情婦としてかくまうための場所まで用意し、給料のすべてをF子に貢ぎ、足りなくなると青年団の金を使い込み、上司に米の斡旋と嘘をつき金銭を騙し取るまでになった。
しかし、上司からの催促やF子からも1月2月の間代4千円の支払いを催促され、どうにもならずに犯行におよんだ。
しかし、犯した事は許されないことである。
犯行後に会社からの特別手当てとしてF子に支払い、残りはパチンコなどに使い、血痕の着いた上着を洗い流したものが自宅から発見され検挙された。
余談だが捜査を指揮したのは静岡県下で数々の冤罪事件を生み出した紅林麻雄警部補(御殿場事件発生時)
【昭和27年3月25日静岡新聞】【刑集7】
裁判で死刑確定
「悪いことをしたのですから、今日の事はとっくに覚悟をしていました。すべては天の裁きとあきらめ親としては控訴はしません」と息子の死刑判決を見守った父親が記者の質問に答えている【昭和27年8月31日静岡新聞】
強盗殺人2
昭和27年8月30日 静岡地裁沼津支部 死刑
昭和28年4月3日 東京高裁 控訴棄却
昭和28年11月19日 最高裁 上告棄却
【刑集37巻6号】
勝又は『死刑制度は違憲だ』として控訴しているが邑神一行の判例があり棄却されている
【昭和28年4月4日静岡新聞】
昭和28年12月16日に判決訂正申し立てが棄却
【集刑89】
勝又の死刑執行日は不明だか、最後に勝又本人の上告趣意の一部を紹介する。
「今考えてみますと、F子に対する下向きの恋愛であって世情にうとい私が盲目的と申しますか、精神に異常を来したとしか考えられません」
【集刑88】