父殺害のY(20)と同姓愛のR子(18)
「私が一人でやりました」
取り調べではお互いが単独犯行を主張した若い女性二人の事件は、少年鑑別所で知り合い同性愛関係になり出所後も交際を続け殺人事件を起こしたものだったが、かばい合う二人を当時の新聞記事では『美しい友情』と記しているあたりに同性愛の社会的な理解が得られていないと感じた。下記に事件の概要を記す。
青森市実父箱詰め殺人事件とは
青森市で昭和29年9月3日に国鉄職員だったKさんが訪れた身内の者に、カンナ用のくず入れ箱でうつ伏せで死んでいるのを発見された事で発覚した。
Kさんの二女のY(20)が行方をくらませていたので、重要参考人として手配され、翌日に逮捕された。
事件前に行動を共にしていたR子(18)を取り調べたら「私がやった」と自供したので同日に逮捕された。
犯行は前月の30日でKとYが口論になったために発作的に二人で犯行に及んだものだった。
R子が紐で後ろから首を絞めて、Yが包丁で刺そうとして躊躇していたら(実際は遺体には切り傷が数ヵ所あった)絶命し、懐中時計と500円を奪い遺体を箱に隠して逃走。
Yは家に帰らず市内を徘徊し、警察官に声をかけられ保護された際は「私の素行にうんざりした父は弘前の姉の所へ行くと言っていた」とワッと泣きながら話し、R子は勤め先の食堂で普通に働いていた所を身柄を確保された。Yは短髪で男の格好をしていた。
Yは胸をかきむしったり舌を噛むようなそぶりを見せ、R子はネコイラズを飲んだが命に別状はなかった。
生い立ちと動機
R子には玩具店の店主を金ヅチで殴った強盗傷人での逮捕歴がある。Yも素行不良が積み重なり鑑別所に入所しそこで二人の交際関係がはじまった。
Yの母親は幼少期に生別し、父親に育てられ兄妹は分家し、Yと父親Kの二人暮らしだったが、Yは実父Kから特殊な関係を迫られており(あえて深くは触れない)、それらの事情や日頃のYの素行の悪さなどから父親との関係はよくはなかったので、国鉄の退職金がある父から奪って遊興費に充てようと企てた。
R子はYとその父の特殊な関係を知り嫉妬したことが動機だと供述した。
裁判
「犯罪事実より動機や被告の性格、生活環境を十分に勘案しなければならない」との前置きから論告ははじまった。
動機は遊興費目当てでアプレゲール(戦後の新しい考えや行動)による生命軽視がある事
Yは特異な家庭環境で育ち精神病質者で爆発性がある事に触れられ、R子は非定型精神分裂病質で爆発性があるYが事件を主導したとし、弁護人はR子の無罪を主張した。
公判ではお互いが庇い合いYがR子に「本当の事を言いなさい」という一幕もみられた。
YとR子の関係が世間から冷たい目であった事も影響していると公判では触れられている。
共に刑事責任能力はあるとされて、Yに懲役15年、R子には5-10年の不定期刑が求刑された。
昭和30年4月8日青森地裁で求刑通りの判決。
R子は終始無表情で判決を静かに聞き退廷し、対照的にYは顔面蒼白でふらつき、その場から動けなくなり放心状態で廷丁(裁判所職員)に注意されてようやく我にかえるほど落ち込んでいた。
公判では婦人団体70~80人が詰めかけ、Yの生い立ちを聞いて涙ぐむ場面も見られた事を付け加えて終わりたい。
※控訴の有無など不明です。情報お持ちの方はご一報ください。同性愛を否定する意図がないことも付け加えておきます。
【昭和29年9月5~7日読売青森版】
【昭和30年3月15日、同年4月5日、同月8日奥東日報】
協力:折原臨也リサーチエージェンシー様