❽【悪知恵】 広島替え玉事件S(19)
嵐の日の夜の事件
二百二十日とは立春から数えた9月11日頃で悪天候が多いことなどから昔から農家の厄日とされていた。
その厄日を前に暴風雨の中で広島県豊田郡南方村にて昭和23年9月9日の深夜3時頃に検問中に荷車をおした不振な若い男二人組が引っ掛かり、手持ちのカバンやトランクを投げ捨ててあわてて逃走した。派出所巡査が投げ捨てられた荷物を調べると、持ち主が判明しその主の同村の鉄道員Tさん方を調べたらTさんの妻(26)が縄で首を絞められて亡くなっているのが発見され県警本部に連絡がいき、検死の結果殺害時刻は午前二時半頃と判明し、直ちに逃走した若い男二人の行方を追った。主人不在時を狙われたようだった。
約10時間後に犯人検挙
遺棄したズボンから足が付き、同日午前11時半頃に本郷町駅前付近で少年S(19)の身柄が確保された。
何故にこれだけのスピード検挙になったかというと、SがTさんの先妻(病死している)の実子でTさんの家には度々出入りしていた事、Sは同村では有名な不良グループの一人で窃盗で懲役4月の前科があり、別件のモーター窃盗事件でも手配中だった事が大きい。
最近は南方村周辺で強盗、窃盗事件が頻発していて(定かではないがこれもS仲間の仕業の可能性もある)検問を強化していた事も大きかった。
当日は少年4人で二手に分かれてそれぞれ強盗と窃盗事件を起こしていた事もSが自供。
なお、Sと共にTさんの妻を強殺した共犯の少年(18)は同日午後5時過ぎに昇汞水(塩化水銀で消毒水)を飲んで自殺した。「申し訳ないことをした。自決してお詫びします」と遺書があった。
Sは小学校卒業後に満州義勇軍に入り、地元に戻ってからはヤミ市に出入りし不良仲間と盗品を売りさばき生活していた。
(二手に別れた他の二人については検挙の情報未確認)
替え玉を使い無罪を主張した裁判
強盗殺人1
Sは廣島地裁にて昭和23年11月20日に死刑の判決を受けたが、犯人は別人と無罪を主張し控訴した。
その手口を以下に記す。
Sは別件の強盗致死事件で検挙されていた仲間のW(無期求刑)と共謀し、台湾人青年(窃盗事件で懲役2年)に罪を被ってもらい、SとWは無罪を勝ち取り、刑事補償金40万を山分けしようというものだった。
台湾人は第三国人として日本には裁判権がないと主張し、犯行時は精神障害があったと言い張れば大丈夫
あとで補償金を山分けしようと脅していた。
別件で逮捕されていた他の不良少年仲間M(強盗事件で一審判決無期)まで証人として出廷させるという用意周到ぶりだった。
しかしこの台湾人青年はWの強盗致死事件の日(昭和24年3月)には川口刑務所に収監されていた事実が発覚し、脅されていたという台湾人青年の供述から二つの強盗事件での替え玉工作が発覚し、房内からも暗号が記されたメモが発見されて昭和25年8月に全てはでっち上げの嘘の不良少年らによる替え玉事件が終結した。
高裁で無期
犯情も悪質で司法をかき乱したSだったが昭和25年12月26日に廣島高裁でSに無期懲役が言い渡されてその後に確定した。
当時の新聞には判決理由などは書いていないが、死亡した共犯に罪を被せたか?被害者一名が影響したか?の理由で死刑が破棄されたと推測する。
この年代の新聞記事には書かれていないことが殆どで物足りないと個人的な思いを付け加えて終わりたい。
引用元
【中国新聞の昭和23年9月、昭和25年7月と8月と12月】