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㉕ 雑ぱくな故に 井戸八郎(19)

井戸八郎という少年

井戸は昭和25年に中学を卒業後に製パン工場に勤め、辞めたあとは新聞配達や日雇い人夫などをしていた。
近所の人が「普段はおとなしいが、酒乱でいつも短刀を懐に忍ばせていた。」と話すので、厄介な人物認定をされていたのだろう。
同居する兄は「酒はよくのむが、仕事には毎日いくし、悪いことをする人間とは思えない」と言っている。
タガが外れたら何をするかわからないタイプなのか…
【昭和29年12月7日朝日兵庫】

いきあたりばったり

昭和29年12月1日、兵庫県揖保郡新宮町で井戸八郎(19)は仕事先の製めん工場へ向かったが休日だったために遊ぼうと思い引き返し、その途中の相坂峠付近で顔見知りの洋裁師の女性(21)に出会い乱暴しようと思い立ち、匕首で脅迫し自転車ごと杉林に引きづり込み乱暴した。
女性が「警察に届けてやる」と言ったので、「殺してやろう」と思い匕首で刺殺し現金と時計、自転車を奪い逃走した。近隣の農業男性が発見し通報、現場は昼間でも薄暗い場所だった。
被害者は同月3日から就職する事になっていた呉服屋に仕立て物を届けた帰りだった。
こんな無鉄砲ではすぐに捕まるという思考は働かなかったのか?時計を質屋に入れ、自転車を製パン工場の元同僚のF青年に千円で売り、Fは改造して乗り回していた。
奪った金は借金の返済にあて、飲み代に使っていた。
事件は同月3日午後3時頃に遺体が行方不明となり探していた親族の一人の被害者の実弟に発見され発覚。あまりにも大胆な犯行から犯人は年少者ではないと当初はにらまれていた。
捜査は盗まれた自転車探しに重点を置かれたが自転車ナンバーが役場の帳簿に記載モレしており捜査は難航した。
【読売播磨昭和29年12月5日と6日】
【昭和29年12月6日神戸新聞夕】

逮捕と新聞報道

質入れの記帳から有力容疑者として浮上し、任意出頭していた井戸は盗んだ金を飲食に使い果たしていた。取り調べで質屋から出てきた時計を見せられ「僕がやりました」とあっさりと自供した。「悪いことをした。被害者にすまぬ」と震えながら泣いたようだが大胆な犯行と真逆の二面性が見てとれる。
この際に井戸から自転車を買った元同僚のF青年も共犯者として取り調べを受けている。
当時の神戸新聞では井戸はAと報道され(読売播磨版では実名)F青年は実名報道で読売播磨版では顔写真付きというものだった。
1950年代は未成年でも実名、顔写真掲載は当たり前だが、地方紙でも仮名で写真掲載の新聞はいまだ未発見。
余談だが当時、吉田茂内閣が終焉を向かえた時期と重なり、記事の扱いも小さかった事も付け加えておく。
【昭和29年12月6日神戸新聞夕】
【昭和29年12月7日読売播磨】

一審無期も逆転死刑判決で確定

強盗強姦殺人1
「人命を犬ねこのごとく軽視し若き女性の貞操のみならず生命まで奪った事は許しがたい。犯行後も改心の情は見えない。」としながら被害者一名、犯行時未成年を理由に無期懲役を言い渡した。
【昭和30年8月27日神戸新聞夕】

昭和30年8月27日神戸地裁姫路支部 無期懲役
昭和31年9月18日大阪高裁 破棄自判死刑
(残虐で社会への影響を考えての逆転判決)
昭和32年4月5日最高裁 上告棄却
【刑集37巻6号】【昭和31年9月18日神戸新聞夕】

※井戸八郎の死刑執行日は不明

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