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弊社でパンデミックが発生した話。

 中年の工場長が「うー、なんかだるいー」と呟いたのが、その始まりだったと僕は記憶している。
 普段はブツブツ言いながら六連勤もこなす働き者の人だったので、仮病の類ではないよな、とは思った。

「珍しい?大丈夫?」
「あかんわー、ちょい帰る、申し訳ない」

 そう云い残し、工場長は早退した。
 僕はパートさんらと、珍しいこともあるもんだね、と首をかしげていた。

「……あれ、Aさん、咳してる?」
「ああ、ゴホ、熱はないし大丈夫よ」

 いつも朗らかなベテランスタッフのAさんは、しかし普段とは違い念のためか、マスクを着用しながらもいつも通り闊達な笑顔でそう云った。

 事務所に戻ると、いつも明るさ全開の事務員Bもマスクをつけていた。

「おはよう……あれ、Bさんもマスク?」
「おはようございます、なんか昨日、子供が熱出したんで、念のため……」

 自身は熱は無い、少し咳が出るくらいだと云う。
 そういえば最近、インフルエンザが流行ってると聞いた。今年に入ってコロナは落ち着いてたけど、またぞろ患者数が増えているとも聞く。Bはコロナワクチンも打っているそうだし、まあ大丈夫でしょう、と僕は勝手に考える。

 その日は、それ以上のことは特になかった。
 僕は、工場長あした復帰できるかいな、明日の段取り大丈夫かいな、とか(主に仕事の方を)少し心配しつつも、業務をこなし終業した。

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 次の日。
 始業の時刻になっても工場長は出てこない。
 しばらくすると、体調が悪すぎるので休みます、という連絡があった。

(いや、もっと早う連絡しいや……)

 僕は溜息をつきながらも、他スタッフと今日の作業の段取りをつける。
 事務員Bからは、「子供がインフルだったので休みます」という連絡が入った。二名休みか、まあ現場は何とか回るだろう。

 と、副工場長が暗い顔をしているのに気づく。

「どうしたん?」
「いや、集配の子が出てこれんくなって……」

 今日出勤予定の、集配を担当している人(Cさん)から連絡があって、体調不良で病院に行きたいので休ませてほしい、ということだ。

「うわー、これで三人同時かあ」
「まじキツいですわ……」
「僕も現場に入るんで、何とか廻すしかないわ」

 そう云いつつも、僕は三人同時、というのが引っかかった。
 Aさんは今日もマスクをつけて作業をしている。やはり咳が出るらしい。
 なんかこれは、すごく嫌な予感がする。

 その予感が当たったのは、午後だった。

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 基本、病院嫌いの工場長が、容体があまりに悪いので病院に行ったらコロナだと診断されたそうだ。
 そして事務員Bさんからも、念のため病院で検査を受けたらコロナ陽性だった、と連絡があり、さらには集配のCさんからも、コロナでした、と連絡が入った。全員、現在は高熱を出して倒れているらしい。

 昼イチからの一時間程度の間に、一気に三名からのコロナ陽性報告を受けた時の僕の表情は、きっと顔面ブルーレイ状態だっただろう。

(完全にパンデミックやん……!
 ヤバい、これ以上広がったら工場が止まる……!)

 一体、誰が感染源で、どういう風に広がったのかはわからない。もしかすると三名が同時によそで感染したのかもしれないが、その可能性は相当に低い。たぶん、この工場内でパンデミックが発生したんだろう。そう考えるのが妥当だ。

 と、僕はあることに気づき、ものすごい勢いで振り返る。
 そこには、マスクをつけていつも通り元気に作業しているAさんの姿が。

「Aさん、熱はあるん!?」
「いや、全然ないよ、喉が痛いだけ」
「病院は!?行った!?」
「いや、病院嫌いじゃけえー」
病院行きんさい!!!

 僕はブチブチいうAさんを車に押し込み、近くの病院に放り込んで検査を受けてもらった。約1時間後、Aさんもコロナ陽性の連絡が入る。

 弊社で同時に四名がコロナ発症。
 僕は死んだ。

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 幸いにして、四名の発症で弊社のパンデミックは抑えられた。

 今回のパンデミック事件で僕が発動した強権は、Aさんを病院に連れて行ったくらいのものだ。他の三名は高熱を出し相当に大変だったらしいのだが、Aさんはワクチンを四回打っていたおかげか随分と軽症だったらしい。
 しかしあのまま、Aさんが現場で元気に働き続けていたら、もしかすると感染はさらに拡大していたかもしれないし、あれ以上に感染者が現れていたら間違いなく業務は停止していただろう。
 だがそれは、きっと誰にもわからないifだ。

 いわゆるコロナ禍は、2019年12月に中国の武漢でパンデミックが発生したのが最初だ。2020年1月には日本でも初のコロナウィルス感染者が発見された。予想以上に死亡率の高いウィルスらしいという伝聞により、以降日本もパニック状態になった。

 日本政府は国民に、不要不急の外出を控えるよう「お願い」した。
 国民の多くも、コロナウィルスに罹患することを恐れ、ピタリと出なくなった。

 当時は、日曜の14時だというのに、繁華街には全く人通りが無くなった。文字通り、人っ子ひとりいなくなった。街にはバスやタクシー、営業車ばかりが走り、一般市民が乗っていると思しき車両はいなくなった。

2020年4月頃、日曜14時の繁華街の様子

 正確には、コロナ禍発生の当初は体力のない老人が発症しやすいという報道があり、若者らはさほど気にすることなく活動をしていたと思う。しかし、マスコミがコロナウィルスの被害状況を刻々と報道し、著名人からも感染者や死者が出るようになってからは若者も外に出なくなった。
 昭和天皇の崩御の際みたく、自粛ムードが日本全土を覆った。

 自粛ムードが決定的に強まったきっかけは、志村けんのコロナ罹患および死去だったように感じる。

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009072041_00000

 コメディアンだった氏は老若男女問わず幅広い人気を集めた有名人だった。また、70歳という年齢を感じさせない若々しさもあっただけに、氏がコロナウィルスにより死去したという報道が流れた時には、信じられないという言葉があちこちで飛び交った。
 僕も、氏の訃報を聞いて「本当に死ぬんだ……」と驚いた記憶がある。

 志村けんの死により、大多数の国民が初めて、コロナウィルスの恐怖を身近に感じたと思う。それからは、2023年5月にWHOが新型コロナ緊急事態宣言の終了を発表するまでの間、「不要不急の外出は~」がメディアで飛び交い、僕たちは自宅に引きこもり続けた。

 しかし、パンデミックを受け工場で強権を発動した僕とは違い、日本政府は「お願い」をしただけだった。
 最後まで強権の発動は無かった。

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 今回の白饅頭氏の記事に僕は、山本七平著「日本はなぜ敗れるのか」を思い起こす。

 コロナ禍の際の日本政府と違い、太平洋戦争の際には大日本帝国政府は強権を発動しまくった。「欲しがりません勝つまでは」をスローガンに、極限まで消費を切り詰め全てを戦争遂行のためにつぎ込んだ。しかし、国内での物量の不足と米国の圧倒的な製造力の強さに、最終的には日本は完膚なきまでに叩き潰された。

 たぶん、強権発動に対する恐怖感は、あの経験で植え付けられた。
 戦後の日本政府は、それこそ国家がひっくり返るレベルの事態でも基本、「お願い」をするようになった。

 僕は、それが情けないようにも感じつつ、一方ではそれでこそ健全だとも思う。いち工場だけの話ではない、まさに国家の存続に関わる事態を、これこれこのように行動するとええ感じになると思うので「お願い」します、と国民に平伏する。
 ある意味、他国では絶対に真似のできない、日本ならではのやり方だ。

 だが、いくら政府が「お願い」をしても、国民が云う事をきかなければ意味が無い。実際、当初若者らは「お願い」を無視し外へ出歩いていたのだ。
「お願い」が通じたのは、僕らがそれを受け入れたからだ、ということを忘れてはならない。

 そして、最もマズかったこと。
 それは上掲の書でも挙げられている、日本が米国に敗れた時の、敗因二十一か条にある。

三、日本の不合理性、米国の合理性
五、精神的に弱かった (一枚看板の大和魂も戦い不利になるとさっぱり威力なし)
七、基礎科学の研究をしなかった事
九、克己心の欠如
十、反省力なき事
一一、個人としての修養をしていない事

 どれもが現在の日本にも、否、現在の僕らにも通底する弱点で、コロナ禍での過剰な自粛はこれらが原因となったものだ。

 コロナに限らずウィルスは、基本的な感染予防を忘れず適切に対処すれば簡単に感染することはない。にも関わらず、小数点以下の感染確率ですら僕らは恐れて外出を控えたし、外出するものを馬鹿扱いした。マスクを付けない者は人非人扱いされ、時には暴力を振るわれることもあったと聞く。

 確かに、政府の「お願い」が日本人のその心理を惹起したのは間違いない。しかし、日本国民でなければ"それ"が大成功したはずもない。

 そう、合理性に基づかず、精神的に弱く、基礎科学への理解も薄く、克己心も無く、反省力もなく、そして個人としての修養も成していない、僕ら日本人だからこそ「お願い」は通じるし、一斉に自粛するのだ。

 そして僕らは今後も、きっと自粛し続ける。
 きっかけさえあれば、僕らはすぐ自粛する。
 それが日本人であり、日本人たる所以だからだ。

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