見出し画像

「アップデート」の認識が違くね。

 ポリティカル・コレクトネスの文脈でよく言われる「意識のアップデート」という言葉。
 僕はどうもこの言葉に違和感を(むしろ嫌悪感を)抱き続けていたのだが、ふと「僕の"アップデート"と彼らの"アップデート"は、意味が違うのではないか?」と思った。

 An updated feminist view of intimate partner violence

 これは、"feminism update"でググった論文のタイトルだが、DeepL翻訳をすると「親密なパートナー・バイオレンスに対するフェミニストの最新見解」になる。
 英語での"update"自体には、「更新」「最新にする」くらいの意味しかなく、上記訳文にも違和感は覚えない。

 しかし、僕のような何十年もPCをいじくり回してきた人間にとっての「アップデート」は、エラーやバグの修正というニュアンスが強くある。それをヒトに使うのは、お前は間違っていると言われているように感じるのだ。

 それとも、フェミニストやポリティカル・コレクトネサーは、お前は間違っている、お前の思想はエラーそのものだと断言したいのだろうか。

 ──────────

 もうひとつ、ヒトに「アップデート」という言葉を用いる違和感の解説。
 古いモノを新しいモノに更新する作業自体に疑いを持つ者は殆どいない。つまり、その作業そのものが間違っているということを、殆ど誰も想像していないのではないかという恐怖だ。

 例えば、"修羅の国"と呼ばれるエロゲー界隈では、アップデートするたびに新しい不具合が発生するという怪現象はざらに起きていた(今はマシかもしれん)。
 また、エロゲーに限らずアプリなどでも、一旦はアップデートパッチをリリースしたが、直後に不具合が見つかり「パッチ中止!」などということもたまに起きるし、安定ver・最新verなどのリリースバージョンをわけていることもある。

 アップデート自体、本当に信頼できるのか。
 英語にはさほど接することなくPCをいじくり回してきた僕ら(つまり、「アップデート」という言葉を日常会話ではなくマイクロソフトのマニュアルから学んだ僕ら)からすると、そういう疑いの目を向ける対応を「アップデート」という言葉はもたらすが、海外の識者らはナチュラルに"update"と言っているのではないか。

 その意識の差を、もしかすると日本国内の識者らは理解していないのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?