「人生初の」は意外と多い。
先日書いた、不登校児を抱える家庭とスダチメソッドの問題について、前から思っていたことを改めて認識したというか。
僕ら、他人の「人生初」に関して、あまりに無頓着すぎる。
子供が不登校になった、というご家庭(の親御さん)の大多数は、それが人生初の経験だと思う。もし二回目以上であればまた別の問題があるのはともかくとして、親御さんの気持ちになって考えれば、子供が不登校になるのは人生初で、もし自身がそうでなかったなら子供の気持ちを必死になって考える、考えざるを得なくなる。
いきおい、「不登校を解決します!」と力強いメッセージを打ち出す、例えばスダチさんのようなサービスは親御さんにとっては福音のようにも聞こえるはずだ。
先の記事やツイートで、「(スダチに惹かれるような人は)子供と関わらないでいただきたい」というツイートに対し、僕が強く抱いた違和感の正体はそこだと気づいた。そして、僕と似たような心境を抱いた人々が多かったからこそ、1500超えのいいね!がついたのだろう。
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育児の話題に於いて、育児未経験、不登校未経験の人々の存在を、僕たちは無視している。まあそれはそれでしかるべき話でもあり、しゃあない。
でも、育児に限らず、僕たちの人生の中では死ぬまで、人生初の経験というのは否応なく襲い掛かってくる。
人生初の、恋愛。結婚。
人生初の、仕事で大失敗。
人生初の、自動車事故。
人生初の、子供の死産。
人生初の、五十肩。
その中には、人生初の不登校だってあるだろう。
そういう突発イベントに対するマニュアルもなく、親や親戚から口伝で教わるしかなかった昔と違い、今はインターネットで検索をすれば対処の方法などもある程度は学ぶことができる。そして今は、その中にスダチなどのサービスもあるし、マナー講師もその類だと僕は捉えている。
みな、生活の出来事が人生初のことだらけで困っているはずだ。
なのに、他人の「人生初」は気にしない。子供に関わるな教育に携わるな公務員やめろ接客やめろと、人生初からの逃避を誉めそびやかさんばかりだ。
インターネットもそうだしマスメディアもそうだがこれらは多分、イベントを報じる際に「人生初」などの属人性ステータスを自動的に排除してしまうのだろう。そして受け手は、メディア上で数多の「人生初」イベントを観察する関係上、それがその人の「人生初」だなどとは思わない。
こいつ、また失敗をやらかした、と思うのだ。