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天神様への上奏文

注)いろいろなもの、漢文の読み下し風、古文風など、交じっているので、文法上おかしいと感じる箇所があるかと存じますが、それは、わざとやっていることなので、気になさいますな。手書き原稿のまま、打ち込みましたが、漢字交じり文の流儀は機械に任せたので、手書きの原文を忠実には再現していない。

天神様への上奏文

杜胡三蔵

本年6月8日に聖なる書と7月28日にとこちゃん白書をもって、一応の決着を見たと思うのでありますが、それは、文章上のことだけでありまして、実際上は、今一つといった感があります。ここにおきましては、天神様のお力をお借りいたしたく、一筆啓上仕り候。

本日もって、すでに、過ぐること8年と相成りましてございます。夢破れて、山河あり、とも申しますが、ここには、何もございません。

来月の18日には、御前に詣でいたしますので、何卒、神託賜りたく思います。

事実は、いかんともしがたく、そこにあるだけでありまして、決定的であります。今までの記憶を消してくれなどとは、言いますまい。たしかに、いらない腐ったりんごでも食べさせられてきたようなものでありますが、それはもう済んだことでありますし、まあ、いつかは、何かのためにもなろうというものであります。そういうわけでありますので、一体、何が真であり、何が偽であるのかを明確なる見識もって、決定することもできないと思います。私が、それをする必要は、何一つとしてありません。迷いは、人間の常でありますので、一生訴えつつ、問い続けていくつもりであります。天神さまにおかせられましては、何卒、良きはからいをもって、お守りくださりたく思います。学問の神様の力をもちまして、杜胡三蔵をお守りくださることをお願いいたしたく思います。貴方の意に背くことなく、現世におきまして、杜胡三蔵は、創造し続けとう存じます。天神様の下僕となりて、この世界に、幸多かるべき技を磨き、イデア界と現世つまり、世俗界をつなぐ使者となりたく思う次第であります。

思えば、昭和54年3月18日以来すでに10年がたつのであります。天神様に初めて、お目通りいたしましたあの日を杜胡三蔵は、忘れておりません。しかし、その間、私めは、本道を離れることはなはだしく、御神の怒りに触れ、当然の責めを負ったのであります。あふれるだけの情熱が、いつも正しいとは、限りませむ。

何をではなく、杜胡三蔵は、書きます。すべてを、そして、日本人一の日本語の達人として、天神様に成り代わりまして、働きとう存じまする。そして、必ずや、その恨み、明かしとうございます。

杜胡三蔵は、文士であり、絵師であるというだけのことであります。あまりにも単に科学的なる分析や見解は、無意味であるかと思いますが、特に重要と思われるものだけにいたしとう存じます。

一、言語的思考力は天井を極めている。そして、技術的能力も平均以上である。といろいろ結果はあるのでありますが、それ以上を申しても面白いものではないのでありますので、やめにいたしとう存じます。

名実ともに、霧が晴れるところまで来ることは、今日のところできなかったのであります。どこを取っても問題なきとするには、あまりにもひどすぎるのでありまして、中心を欠いているのであります。

確かに、絵の方は自らの目を疑うほどに上達しておるのであります。杜胡三蔵が、今持っておりますキーワードは、美術、創造性、文芸であります。今は、この三つをあげるにとどめとう思いまする。

内と外に、ありすぎる問いは、罰として与えられた宿題のようなものでありまして、それにしても何とも解きがたく、手が出ないのであります。歴史的に確実に積み上げられましたる問いは、最も厄介なのであります。すべての答えが、その向こう側に見えているようではありますが、どうしてどうして、そうは、問屋が卸さないなどと申しております。

破壊は、建設のためには、必要なのです。破壊のための破壊ではありませむ。そういう意味で杜胡三蔵の歴史もこれまでかと思うのであります。多分、どこかで答えを踏みにじったことに原因があるのかと思っているのであります。けしからん事をしてきたことの責めは、負うのでありましょう。まあ、はじめから、答えなどなく、失敗だったのかもしれません。頭が悪いのでありまして、それが、悪すぎる夢でありますならば、消す努力はいたしたく思っている次第であります。日本語がここにある限り、日本一の文士となりて、天神様の恩に報いとう存じます。すべての日本人に対しての戦いであるということであります。だから、杜胡三蔵は、杜胡三蔵のペンを執りまする。

大宰府の残れる礎石白妙の、天神様が、夢のあと、誰も知る人ぞなく、思いわずろう。

弁解は、知りません。文芸は、技であります。絵画は術であります。

今ここに、申し上げます。

杜胡三蔵は、永遠の絵師であり、天神様の下僕であります。何卒、神託を賜りますようにお願い申し上げて、今宵は、これまでにしようと存じます。昭和63年9月29日著す。杜胡三蔵サイン

こち吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな
山わかれとびゆく雲のかへりくるかげ見るときはなほたのまれぬ
夕されば野にも山にも立つけぶりなげきよりこそもえまさりけれ
海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさむ
菅原道真作

注)菅原道真本人がどのように表記したのか不明なので、色々な表記が存在して、混乱しているようですがねぇ。杜胡三蔵氏が何を参照しているのか、不明だが、太宰府天満宮のおみくじではなかったかと思われます。杜胡三蔵の手書き原稿では、二行で書かれ、句切れにスペースが見受けられるが、今回は、和歌の元来の書き方である一行で、句読点名無し、スペースなしに改めた。

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