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【イノベーション】既成概念にとらわれない価値観を持つ革命家が持つ運命
『歴史を眺める際に、我々は全て、我々の見地が、たまたま我々の各々が生まれた時代と場所によって、大部分決定されていることに気づく。人の見地は、要するに、特定の個人、特定の国民、特定の社会の見方である。
歴史をあるがままの姿において見ようとするならば、我々は、最初はどうしてもそこか出発するほかにない、この局部的な見方を超越しなければならない。』
(歴史の研究 日本語版への原著者の序より A・J・トインビー著)
トインビーが言っている「局部的な見方を超越」した持ち主、『超越した見地』の持ち主は、その時代、その国にとっては革命家的な存在なのかもしれない。
私の頭に浮かんだ人物は、日本の織田信長、そしてイタリアのチェーザレ・ボルジアだ。
両名とも、その当時の人々とは、異なる意識・価値観で情勢を把握し、混沌とした社会の統一を図ろうとした。
また、両名ともその道半ばで倒れたことは偶然の一致とは言えないと思う。
要は、旧勢力が虎視眈々と隙を狙っている状況が続くからだ。
国土的に自身は支配したとしても、どこかで何かがくすぶっている。
多分それは、誰もが今までの既成概念自体が、居心地が良いものなのだから、その場所を力で追い出されてしまうのだから気分が悪いし、不安にもなる。
それは、敵味方は関係ないと思う。
要は、革命家の運命の一つには「敵が多い」ってことだ。
だからこそ、人一倍考えて行動する必要があります。
では、どのように考えるか?
その指針が【孫子の兵法】にあります。
『故に上兵は謀を伐(う)つ。其の次ぎは交(こう)を伐つ。其の次ぎは兵を伐つ。その下は城を攻む。故に善く兵を用いる者は、人の兵を屈するも而も戦うに非ざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国を毀(やぶ)るも而も久しきに非ざるなり。必ず全きを以て天下を争う。故に兵頓(つか)れずして利全くすべし。これ謀攻の法なり。』と。