ディズニーランドに行ったことがなくて、酒飲みなのにチーズが苦手な独身者の日記
もしもこの記事を見る人がいるのなら、この女(28)はこじらせているなという前提で、生暖かい目で読んでもらえれば嬉しい。ただイラっとしたことを日記として書いて残しておきたいだけなので、結論はない。
昨日仕事で、とある会合に出席した。私が現在携わっている仕事と同じ業種の人々が集まって勉強会や意見交換をするため、定期的に開催されている会合だ。
今の仕事を始めてから2年が過ぎ、やたらとネパールに出張することが増え、ちょっとだけ出世するくらいにはよく働いているが、言っても業界の中では若輩者なので勉強のためにも、そして何より横のつながりを確保するためにも、会合には出席しなければならない。
会合にはベテランの人たちがたくさんくるので、会場を見渡せば
おじいさんおじいさんおじいさんおばあちゃんとおばさんのあいだくらいの人おじいさんおじさんおじさんおじさんおばさんおばさんおじさんおじいさんおばさんとおねえさんのあいだくらいの人
といった具合でベテランの人たちが鎮座している。超高齢化社会の風を感じながらおじいさんのありがたい話を聞く。その後の質疑応答で、おばさんとおねえさんのあいだくらいの人が小難しい言葉を並べて何かを質問しようとするのを、小難しい言葉を並べるが故になかなか本題にたどり着かないので待ちきれなかったおじいさんが遮って回答する。私は結局何が質問されるはずで、今の回答が的を射ていたのか射ていなかったのかもわからないまま、おばさんとおねえさんのあいだくらいの人の、しおしおとした「ありがとうございました…」がかつおぶしのように宙を舞っているのを見つめる。
2時間くらいのお勉強会が終わると、会合の偉いおじいさんが意気揚々と立ち上がり「さあさあ本日の二次会はどこそこで行います。お早めに移動を」と宣言する。これも毎度の流れで、お酒が大好きなおじいさんたちにとっては二次会がメインのようなものであり、この二次会まで出席し、名刺を交換して、「情報交換」なんつって自分の知りたい情報だけ毟り取ろうとする小賢しい人々の圧を避けながら不味い酒を飲むのがお決まりだ。
で、この長い前置きに意味はなく、私は二次会が終わってから今日までぼんやりもやもやしている。
何にもやもやしているのかというと、既婚女性に「あなたには5歳くらい年下の男の子がイイわよ」既婚男性に「5歳くらい年下いいですね〜それか10歳くらい年上の男の人とか」と言われたことにである。
まあ、よくある話です。よくある話ですとも。よー言われる。よーぅ言われるわ。え?なんて答えたか?「あはは〜そうかもですね〜!あっ10歳年上の人ですか〜たしかにいいですね〜」です。
上記既婚女性の発言には枕詞として「あ〜でも年の割にしっかりしすぎてる感じあるわ〜」というのがついていて。
あ、まじすか、そうみえますか、あざっすあざっす、お褒めに預かり恐悦至極にございマ、ma?す、せそ??あれ、ここはお礼をいう場面なのかい?“しすぎてる”?too muchってこと?褒めてないけどこの会話お礼も言っとかないと成立しないよねここで使う公式って (謙遜+お礼)×程よい自虐 だよね?合ってる?
本題に戻るが、いい加減私は「異性とくっつき人生を共にすることが幸せ」だという前提で生きている人と話すのに疲れた。そういう人がこの世界に一人や二人しか居ないのなら大したストレスは感じないのだろうが、とかく”世間”にはこういう人が多い気がする。仕事がらみの飲みの場には必ずいる。うじゃうじゃいる。
「異性とくっつき人生を共にすることが幸せ」だという前提で生きている人たちは、さらに「その前提を他人もみな共有している」という前提で話を進める。
ついていけない、ついていけないよ、足がもつれてたどりつけないよ、そりゃそうだ、「前提」が大渋滞してるしそもそも目指すゴール、多分違ってます。
確かに私は結婚の喜びを知らないし、子供を授かる喜びも、育て上げる喜びも知らない。でもここには無知の知がある。知らないなりに、家庭を持つ人の幸せに一定の理解を示し、ましてやいちいち否定することなどありはしない。する必要がない。それがあなたの幸せなのですね、素敵ですね、以上、じゃん。
それなのに「年の割にしっかりしすぎてる感じする」「5歳くらい年下の男の子がイイわよ」って、何だか私、マウンティングされているような気分です。ディズニーランドへ行ったことがないと言ったときの「えーー人生の半分損してるよー!」と、固形のチーズが食べられないと言ったときの「お酒は好きなのにチーズ苦手とかほんと損してるよーー!!」と同じやつ。こうして考えてみると、結構自分カモられてんなあ。じゃあこの人たちに「ネパール行ったことないなんて人生の3分の2損してるよーーー!3分の2なんて改憲できちゃうよ行きなよーーーー!!」と言ったら行くのでしょうか。は?何を言っているんだ私は?
誰かに愛し愛され、何かを育むのは尊いことだと知っています、両親にも愛されて育ちましたし、学校でいじめられたこともありませんから、そういうの肌で感じること、できます。理解、できます。
そこまでいびつなハートのかたちはしていない、はず。
ただ、私は結婚したいと思う人に出会っていないし、子供が欲しいと思ったこともないし、なんなら「こいつとヤリてえ〜」とか「こいつめっちゃ触りてえ〜」とさえ思うこともないし、そもそも結婚願望も芽生えたことがない。でもそれは今芽生えていないだけで、これから芽生えるかもしれないし、もしかしたら死ぬまで芽生えないかもしれない。
結婚したいと思う人に出会えば結婚するだろうし、出会わなければしないだろうし、子供が欲しいと思えばつくるだろうし、欲しくなければつくらないだろうし、つくることができなければまた他の方法を考える。
さらに言えば、自分が「この人と結婚したい」と思う人が、男なのか女なのかもわからないし、ものすごいビビビとくる男の人が現れれば私のセクシュアリティーは異性愛者なのかもしれないし、ものすごいビビビとくる女の人が現れれば同性愛者なのかもしれないし、両方現れればバイというやつなのかもしれないし、そもそもアセクシュアルなのかもしれない。ノンセクシュアルかもしれない。別に私は自分がそのどれであっても良いと思うし、どれでなくても良いとも思う。
今現在、私は健康で、自立した生活をしていて、絵を描いたり、音楽を聴いたり、お酒を飲んだりと趣味もあって、誰に迷惑をかけるでもなく、結構真面目に生きている。職場での人間関係はうまくいっているし、税金も払っているし、たまには散財して経済も回している。だから、こんくらいの遊びというか、不確かさみたいなものを抱えて生きていたって良くないですかと。そういう人間が嫌いだという人も、それはそれで良い。別に尊重しなくていいので、干渉しないでくれたらそれで良い。
ちなみにネパールは、興味がないのであれば無理に行くことは薦めない。道も空気も汚いし、食事はカレー味ばかりだし、自分を探したって見つからないし、当然価値観は急に変わったりしない。ただ、ネパールで今にも落ちそうな小型飛行機や、2メートル先も目視できないような濃霧の中を爆走するタクシーに乗った結果、「別に私が何者であるかなんてどうでもいいな」と思うようになったので、不確かでありたい人にはおすすめです。