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【自己紹介】 Sasuke Financial Lab CEO 松井清隆

Sasuke Financial Labを創業して7年が経ち、有難いことに、メンバーや取引先の増加、また転職先として興味を持っていただける機会も増えてきました。デジタル保険代理店 コのほけん!、保険業界向けマーケティング・システム開発支援の Insurtech事業ともに毎年2〜3倍の速度で成長を続ける中で、これまで詳しく自己紹介する機会もなかったので、改めて私の少し変わったストーリーを皆さんに知ってもらえればと思います!

"一般的な" 自己紹介は、以下の通り、、、
新卒でリーマンブラザーズ証券に入社、同社破綻に伴い野村證券に転籍。主に金融機関に対し、M&A、資金調達、事業再編、IPOなど多岐にわたる戦略的アドバイス・投資銀行業務に従事。その後、資産運用会社ウエリントン・マネージメントにおいて、株式、債券の運用・助言業務に従事。2016年3月にSasuke Financial Lab 設立。広島県出身、UCLA 経済学部卒業。趣味は、釣り、野球観戦。

それでは、保険業界というハイパー・トラディショナル業界に挑戦するInsurtechスタートアップ起業家のストーリーを少し詳しく記載していきます。


幼少期(高校まで)

広島県尾道市という人口10万人の街で育ちました。デパートや映画館は当然なく、隣の街まで1時間かけて映画を見にいきました。社会情勢に感度の高い両親と歳の離れた二人の姉のもと、家では度々政治や社会問題がディスカッションされる少しロックな家庭で平和に暮らしておりました。

幼少期の我が家の事件といえば、バリキャリ母に対して、毎日17時に帰宅しては、相撲観戦その後、飲みに出かける公務員の父親との夫婦喧嘩(ワークライフバランスを体現したかのような父親でした)。あんなに可愛がっていたポッキー(犬)が飼い始めて3日で逃げ出した切ない事件。父が度々口走る「いつか俺は店をやる」お馴染み 店ヤル事件がいまでも思い出されます。

父は7年前に亡くなり、母も介護が必要な状況となり、改めて大学まで卒業させてくれた両親に感謝です。また、ポッキーが逃げたその日から、我が家の歴史は、ペットなど一度も飼ったことがないということになりました。こうやって歴史は修正されていくんですね。父は定年退職後に数ヶ月だけ小さな飲食店的なものを始めましたが、半年でひっそり閉店しました。夢の実現とビジネスの難しさを学びました。まぁまぁの田舎で、日々都会への憧れを抱く少年時代を過ごしていました。

東京(18歳〜21歳)

姉が東京の大学に進学したこともあり、中学生〜高校生くらいには、年1回は東京の姉を訪ねる機会もあり、都会への憧れはさらに高まっていきました。勉強したくない言い訳と都会に行く理由を考えた末に、東京の吉本興業の養成所(NSC)に入所することになりました。めちゃくちゃお笑いが好きで、、とまでは言えないものの、深夜ラジオにハガキ職人として投稿していたこともあり、構成作家を中心に芸人さんのネタや企画を考える活動を3年ほどやりました。当時、NSCの講師だったラッキィ池田先生に言われた「売れたいなら80歳まで芸人を続けろ、必ずテレビに出れるから」と長く続けることの意義を説かれ、当時の僕には60年以上頑張れる気がしなかったので、早々に諦めて、21歳で大学に行くことを決めました。

スタートアップは多くの失敗と少ない成功の組み合わせで成長していくものだと思いますが、早い段階で人生の挫折を味わったことは良い経験でした。そして、ラッキィ池田先生が説かれた「長く続けること」の意義の重要性も保険業界・金融業界でビジネスを始めて最近特に感じます。スタートアップ理論が発展する中で、短期間でテストやインタビュー等を通じて事業の可能性を素早くピボットしていく手法も活発ですが、我々のような保険業法の枠組みの中で、加えて明文化されないカルチャー・お作法が存在する場合、長期的なコミットは非常に重要になります。業界内で信頼を獲得し、またそれがお客様に対する安心にもつながる、一般的に言われるベンチャーの破壊的な行動がそのまま通じないのが保険業界だとしみじみ感じています。今日もまた知らない 悪い意味での 発見がある保険ジャングルを楽しんでいます。

ロサンゼルス(21歳の夏)

21歳の夏に一念発起し、当時暮らしていた日暮里の図書館でアメリカ留学に向けて受験勉強を開始しました。クーラーの効いた静かな学習室は昼寝に適しており、いびきをかいて寝ているオジさんたちを何度もゆすっては起こし、勉強する毎日が続きました。無事にアメリカの大学に入学し、日本を出発する日に父と母が空港に見送りに来てくれました。母は見送りの際に泣いており、なんとも複雑な思いになりました。先日見つけたイラスト↓は確かにその通りだなと昔を思い出しました。

アメリカのロサンゼルスで4年間を過ごしました。留学したタイミングでFacebookが創業したり、GoogleがIPOしたりで、アメリカでは何度目かのスタートアップブームが起きていました。学内でもよくピッチコンテストが開催されていましたが、お笑いの世界を諦めて留学している僕の頭は、大企業への就職という選択肢しかなく、なんかやってるなぁくらいの印象でした。

リーマンブラザーズ (就職)

就職は、金融業界(証券業界・投資銀行業界)のM&Aや資金調達における何千億円、何兆円というダイナミックな世界観とそれに伴う緻密な分析・提案というビジネスの総合格闘技的な要素に惹かれリーマンブラザーズを就職先に選びました。その後、あっという間にリーマンショックが到来し、会社は倒産、買収により野村證券に転籍となりました。当時の同僚や上司には今でも様々なアドバイスや相談をさせてもらっており、激動の一時代を共にできたことは大きな宝物です。特に同期のメンバーでかつて有名スタートアップを創業したY君がおり、彼をロールモデルとして私自身の起業を後押ししてくれたことは間違いないと思います。諸外国に比べ、日本人は総じて保守的な性格が多い国民性のなかで、すぐ隣で働いていた同期が当時メディアや世間でも有名なサービスを提供していた現実をリアルに感じられたことは、起業へのハードルを下げてくれた気がします。当時、リーマンブラザーズの投資銀行部門(M&Aや資金調達のお手伝いをする部門)には7人の同期がいましたが、そのうち5人が起業しているので、なかなか高い割合だと思います。

スタートアップ・起業(2016年〜現在)

2014年頃から"Fintech"という言葉が日経新聞でチラホラ見聞きするようになり、少しずつ金融業界でも大きな時代の流れを感じ始めていました。私自身、子供が2015年に生まれたこともあり、心からやりたいこと、熱中できる何かを模索し始めていました。当時もオンライン証券会社や保険ではライフネット生命などは存在していましたが、それまでの金融系スタートアップと近年の違いは、以前と比べ、より特化された技術や業界・セグメント、またイノベーションや顧客体験にフォーカスを当てたスタートアップが増加したことが挙げられます。また、それらを後押しする形で資金調達環境が向上したことにより多くのFintech、Insurtech系スタートアップが誕生してきました。

そんな中で、弊社は保険にフォーカスを当てた Insurtech 企業として成長を続けています。私自身が金融業界にいたこともあり、金融商品を選ぶ際の情報の非対称性や商品選びの難しさは常々消費者側の課題だと感じていました。加えて、他業界同様に複数の保険会社の商品を比較・購入したい意向が保険業界でも高まっており、そうした課題を解決する手段として、コのほけん!を展開しています。会社のミッションである「自分に合った保険を、自分で選べる世界を」には、保険はそもそもどんな保険・保障が必要なのか(生命保険、医療保険、がん保険、介護保険、変額年金、等々)? 仮に保険の種類が決まっても、どのくらいの保障金額や特約が必要なのか、選び切ることは簡単ではない現実が存在します。こうした課題に、コのほけん!はデジタルと人のサポートも活用し、新しい保険選びの体験を提供しています。もし、保険選びに困った コのほけん!と思ってもらえる世界を1日でも早く作り上げていきたいと思います。

また、弊社ではコのほけん!のノウハウも活用し保険業界のデジタル化を後押しするため、保険業界向けに開発・マーケティング支援も行なっています。これまで10社を超える保険会社や大手保険代理店向けに、様々なサービスを開発・協業を進めています。保険業界は年間の保険料(市場規模)が50兆円を超える非常に大きな産業です。この市場におけるデジタル化、デジタル化による生産性の向上は大きな課題となっており、弊社の人員構成の1/3はこうした保険業界向けのメンバーで構成されています。また、コのほけん!を活用したプラットフォーム事業も開始しており、Insurtech業界でも高い注目を集めています。

お客様に新たな保険体験を提供し、保険業界に新たな歴史を共に創ってもらえるメンバーを募集しています。是非、ご応募いただければと思います。

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