夢かもね
暑い。田舎に引っ越して二ヶ月近く経ったが、気温が高く湿度が低いこの気候は、暑いなりに過ごしようがあって、都会のジメついた夏の空気に比べて、はるかにマシに感じられる。とはいえ、暑くなるのが早すぎるというのはあるのだが。
十数年前、私は少し離れたところにある高等学校に通っていた。それはいわゆる盆地に位置していたので、夏の暑さはとんでもないものであった。それでも、内陸の暑さは乾いたもので、若さを彩る要素の一つとして十全に機能していた。私は学校から駅までの灼熱の道のりを、ナンバーガールの楽曲を聴きながら闊歩することが好きであった。
当時は今ほどではないものの、インターネットを経由して見ず知らずの人と交信するといったことはやや頻繁に行われていた。mixi が衰退し、Twitter が台頭しつつあったころだと考えていただければ、同年代以上にはわかりやすいのかもしれない。私はとある掲示板で、何人かと雑なやりとりをしていた記憶がある。その中で、一人の女子高生に、あろうことか、ナンバーガールを勧めたことを鮮明に覚えている。当然その子は「変な歌」と評価し、『IGGY POP FAN CLUB』の再現となったことは言うまでもない。ところが、その子は「この『水色革命』って曲めっちゃ気になる!」などと言い出したわけだ。『水色革命』はライブ音源を除いて、『SCHOOL GIRL BYE BYE』というインディーズ時代のアルバムにのみ収録された楽曲である。当時、バイトもしていなかった田舎の高校生の私には、そんな盤の音源を入手することは難しく、『水色革命』はちゃんと聴いたことのない楽曲の一つであった。それを「気になる!」などと言われた私は、咄嗟に、慌てて、知ったかぶって「別に普通の青春ソングだし、わざわざ聴くほどでもないよ」と一蹴してしまった。
それから数年が経ち、東京に出た私は、渋谷のTSUTAYAで『SCHOOL GIRL BYE BYE』を見つけた。当然借りて、当然拝聴し『OMOIDE IN MY HEAD』の BPM があまりに遅くて苛立つなどした。そしていよいよ『水色革命』を聴き、驚愕してしまった。それは青春を歌った歌でもなければ、全然普通の曲でもなかった。よく考えればそれは当然なのだが、一度思い込んでしまったことというのは恐ろしく拭いづらいもので、ようやく私は『水色革命』の真価を自らの耳で体感することができたのだ。そのときの衝撃は、初めて『SAPPUKEI』のアルバムを通聴したときと同じくらいのものであった。『水色革命』は、青春でもなんでもなく、水色の酒が入ったグラス越しに女を眺めるオッサンの歌だったのだ。
暑い。もうあまり音楽は聴かなくなってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?