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なぜ恋人が欲しいのか。

私は19年間生きてきて、一度も「恋人」というものができたことがない。

幼少期には、愛読していた少女漫画の主人公達が皆そうであったように、中学生、いや遅くとも高校生になったら恋人はできると疑わなかった。しかし、現実世界は厳しいようで、どういう訳かデートの経験もないまま大学生を迎えている。

世間一般において恋人がいない者は淋しいやつだとされがちで、そういう私も「どうして誰も自分を好きになってくれないのか」と嘆いたり、このままもろもろのことを経験せずに死ぬんじゃないかと恐怖心を抱いたりすることがある。

でも最近気づいたのだが、私はなぜ「恋人」が欲しいのだろう。友達ではダメなのか。大好きな家族だっているじゃないか。彼らと「恋人」との違いは何か。

セックスができるかどうか?でもそういったセクシュアルな行為をしないカップルも大勢いる。

頭をひねった末の結論は、「愛されている保証が欲しい」である。

「友達」というのは、正直お互いを好きでなくても成立しうる関係である。そもそも友達の定義は人それぞれで、嫌いになったらぷっつりと縁を断つこともできる、そんなぼんやりとした関係なのだ。一方の「家族」はというと、好き嫌い云々の前に「血縁」という事実がある(そうでない場合もあるが)。つまり、友達同様お互いを好きでなくても成立するということである。これらの関係は、好意とか愛とかいった観点からすると非常に不確実なのである。

そこんところ恋人ははっきりしている。(基本は)好きになったら付き合い始め、好き合っている間交際し、好きじゃなくなったら別れる。とても明確な関係性だ。つまり、「恋人がいる」ということは、「確実に自分に好意をもつ存在がこの世に1つ存在する」ということを証明する。確かな好意が約束されているのだ。

その真実がどんなに安心感を与え、自信をもたらすことか。少なくとも私は、そういった担保された安心感というものを知らず、ふとした瞬間—ベッドの上から窓の外を眺めているときなど、波間を漂っているようなゆらゆらした気分に陥る。

そう、私は愛されている保証が欲しいのだ。

2021/06/09 さつき

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