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僕が「越境複業」という働き方を選んだワケ

みなさんこんにちは。
ショーゴです。

SNSでは「北海道の複業人事」と名乗り、
本業・複業とも主に人事畑での活動を丸5年続けてきました。
https://twitter.com/sho_trip

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元々は就活支援サークルを運営していたのですが、有難いことに最近は様々なプロジェクトに関わっていて周囲から「何している人なのかわからないw」と言われるようになりました。これは僕にとって、複業を始めた当初「何してるかわからんと言われ出してからが勝負だ」と思っていたので、やっとスタートラインに立った想いです。

僕は元々書くことよりも話すのが得意なので、ラジオ・Youtubeという手段に出会って以来、ブログを書くことをなんとなく避けてきていました。
が、複業の先輩として尊敬している西村創一朗さん(@souta6954)から、僕のとある回のStandfmの感想コメントとして「音声配信は「狭く✕深く」という性質を持つため拡散性は低いので、ぜひnote化を期待します!!!笑」というお言葉を頂きまして、これはブログもやらねば!と一念発起し、今年の1月5日より「毎日note」をスタート。何とか現在に至るまで200日以上継続できています。

今回は僕がなぜ今の働き方を選んだのかについて、そのルーツから振り返ってまとめてみました。
同じようにローカルでの複業を考えていらっしゃる方、地方での新しい働き方を模索している方などの参考になれば幸いです。

生粋の道産子・三きょうだいの長男

かれこれ40年ほど前、札幌に生まれ、札幌で育ちました。
5歳離れた妹と10歳離れた弟(綿密な家族計画!)がいる長男坊です。
とはいっても、僕は自由人気質で大学に入ってすぐに家を出たのであまりお兄ちゃんらしいことはしてあげられていないなと思っています。
今は三きょうだいとも結婚し、ともに小さな子供がいるのでたまに実家に帰ると賑やかな雰囲気になります。

尊敬している人はずっと「父親」

小さな頃から今まで「尊敬している人は」という問いには必ず「父」と答えてきました。それくらい僕は父親から影響を受けています。
父は地元の大手ゼネコン会社に工業高校卒で入社し、現場の一兵卒から現場のトップまで上がった苦労人です。僕が小さな頃は単身赴任族でもあり、全国のいろんな現場の監督をしていました。
今の札幌駅のホームは父が現場監督だったのですが、幼い頃にその建設現場に連れて行ってもらった時、子供ながらに「自分の父親はすごい人だ」と思ったのを今でも覚えています。そんな父は家で晩酌をする時、僕を隣に置いて飲むことが日常で、いろんな話をしてくれました(ほとんど覚えてないけどw)。
そんな話の中、一つだけ、鮮明に覚えていることがあります。
ある日父が晩酌をしている時に小学生の僕にこう問いかけました。

「父さんがなんでこの仕事しているかわかるか?」

僕は何て答えたか覚えていないけど、父親の返答ははっきり覚えています。

「自分の生きた証を残してるんだよ」

自分がいなくなっても、自分がつくったものたちは残る。
生きながら自分のお墓をつくっているようなもんだ。
父はそう言って笑っていたけど、小学生の僕にはその言葉が鮮烈に残りました。

「価値を創るってかっこいい」

それがきっかけで僕は学生時代にバンドや演劇、学祭実行委員などいろんなことに手を出すに至ります。

ファーストキャリアは広告・マーケ

地元の大学で学生時代をそれなりに謳歌し、就職活動へ。
バンドをやっていたからという単純な理由で音楽業界に進もうとしたものの軒並み最終面接で落とされ、就活失敗。
紆余曲折を経て、地元のアミューズメント企業に入ることに。
パチンコには興味なかったのですが、音楽の道を断たれた自分が次に興味を持ったのは広告でした。この会社は当時新卒採用を始めたてで広告の部署も確立されていなかったので、ポスト空いていて初任給高いしまあいっか、くらいの軽い気持ちで入ったんです。
まさか、そこに10年以上勤めるとは思わなかったけど笑

現場を経て2年目から希望通り本社で広告担当になり、一人で死ぬほど働いて0から広告部署を立ち上げ、マーケや広報の要素も加えていきました。
今は人事系がメインの僕ですが、仕事のスタイルや考え方はこの時に培ったマーケティング・広告宣伝の考え方がベースになっています。

その後20代半ばのある日、広告部門がうまく立ち上がった成果を評価頂き、採用も手伝うように社長からの指示がありました。
これが人事としてのスタートです。

人事は価値を生まない?

今でこそ「天職」になった人事ですが、当時僕は人事が大っ嫌いでした。
というのも、自分が就職氷河期のタイミングでの就職だったこともあり、バリバリの買い手市場での就活で。その時出会った採用担当者はみんな上から目線で偉そう(運が悪かっただけw)だったんですよね。
だから、そんな人たちの仲間入りをするのが嫌だったし、何より自分が大切にしていた「価値を創る」というキーワードにおいても、人事は何も生まないじゃんと思っていました。

いやいやながら採用活動をして3年目くらいの時、転機が訪れました。
自分が新卒採用で採用した人が店長になり、会社の記録となる売り上げを生み出したのです。その時、社長から肩をポンとされて言われたひとこと。

「いいやつ採用したな」

この時、初めて人事の仕事にやりがいを感じました。
人事自身は直接的に価値を創っていないかもしれないけど、価値を生み出す人を繋ぎ、仲間に迎える仕事なんだ。
そう思えて、腹落ちしました。

ゼネラリストの厳しい現実

1社目では最終的に5つの部署を掛け持ちで統括する課長をしつつ、一部社長秘書的な役割も担っていた僕ですが、最初の転職で大苦戦します。
広告・マーケこそ自分で創った部署ですが、それ以外はほとんどが管理職としてスライドしてマネジメントをしていたため、プレイヤーとしてはプロと言えるほどのレベルではありません。

いわゆる「ゼネラリスト」だった僕は最初の転職でどの企業からも難色を示されてしまいました。
今は自分が採用する側だからわかりますが、中途採用は基本、欠員に対する即戦力の募集。欠けてしまった人と同等ないしそれ以上の人が欲しいものです。
そういう意味でゼネラリストはとある会社のハウスルールには長けていてもスキルの市場価値としては「いろいろできるけどどれも及第点程度」という中途半端な印象になってしまいます。
なんとか転職できた僕はそこから「何かのスペシャリストにならねば」と誓い、結果としてそれが人事領域になったわけです。

複業という可能性に出会う

地元ITベンチャーへの転職を経て、3社目が今の本業先、ブライダル企業の「グローヴエンターテイメント」です。
ブライダルに興味は全くなく(またかw)、たまたま自分が結婚式を挙げたというのがきっかけですが、一番の決め手は同社が「ブライダルを通じた地域活性」に取り組んでいたこと。かつて地域社会学を学んでいた僕にとってビジネスで地域活性を成立させていたのが衝撃的ですぐに転職を決めました。

マーケ部署から人事へと異動し、2年目のある時、社長から「ウチは複業とかも自由だけど何かやりたいことないの?」とお声がけを頂き、振り返ってみたとき、東京一極集中や新卒一括採用への疑問から就活サークルをやりたいと思い立ち上げたことが複業のスタートです。
とは言ってもこのサークル、立ち上げから今に至るまでずっと学生さんから会費などは取っていません。なぜなら僕に取っての複業とは、お金を得たいというより、やりたいことをしたい、というのが一番の目的だから。
でも、この就カフェの活動を通じて僕はたくさんの学生との繋がりと毎年リアルな就活生のキャリアカウンセリングを経験することができ、結果として伝えるチカラと面談スキルが大きく成長しました。

広がる複業、境目を越える

就カフェを始めて2年目、地方ということもあり「現役人事が社外で就活サークルを率いている」珍しさが日経新聞に取り上げられて、地方自治体との連携プロジェクトが決まりました。
この連携がきっかけで生まれた縁から自治体職員向けの研修のお仕事を頂けることになったほか、地元の専門学校の講師、地元企業の職員研修と複業が少しずつ広がっていきました。
何より一番大きかったのは東京のスタートアップ「株式会社JobRainbow」の人事顧問です。元々は本業の繋がりで接点を持ったのですが、自分自身が価値観がフラットだったこととダイバーシティに興味があったこともあり、個人的なご縁を育んでいった結果、2018年より顧問に就任させて頂くことに。

この当時、僕は気づいていなかったのですが、僕自身の価値は複業を通じて「境目を越える」ことで高まっていきました。
同時に、僕自身が主役な仕事って何もないな、自分は誰かの隣にいて支援することでチカラを発揮できるんだな、ということに気づき、2020年「かたわら」という屋号で開業するに至りました。

越境複業家として。分断を繋ぎ、再構築したい。

越境、というキーワードは友達に教えてもらったものです。
僕自身、自分の価値とか強みって何なんだろうと悩んでいたことがあって、いろんな人に聞いてみたりしていた時期がありました。
その際、「スキル面」と「価値面」で友人がそれぞれ言葉をくれました。

スキル)
物事を整理し、分解し、再構築するチカラ

価値)
境目をまたいで、繋ぐ・伝えることで価値に変える

やったことある仕事はアルバイトも含めて50職種くらいはあり、どれもそれなりにやれていたので逆に何が得手なのかよくわからなくなっていたのですが、「物事を整理して、分解して、再構築する」ことができるから、わかりやすく伝える力があって、どんな仕事でもそつなくこなせるし、特にマーケや人事が合っていたんだと思う、と言われてとても腑に落ちました。

ちなみに今僕が自認している自身の強みと弱みはこんな感じです。
ストレングスファインダーのTOP5とともに。
「個別化・調和性・親密性・アレンジ・慎重さ」
■強み
伝える・話す・聴く・わかりやすく・整理する・人の個性を活かす・情報集め・加工応用する・期限遵守・決めたらすぐやる・好きな人(こと)に全力
■弱み
新しいものに弱い・14時〜15時に極端に眠くなる・寝られないと不機嫌になる・リスクに敏感で慎重・実はあまりお酒は強くない・実は人見知り
■価値観
●ビジョン:「ありたいらしさ」を叶えていく。
●ミッション:ローカルから「働き方の多様性」を実現する。

地域創生・北海道愛・東京一極集中の解消・多拠点複業・多様性尊重の推進(生き方・働き方)・クリエイティブ

今、僕は企業の人事として採用現場に身を置きつつ、経営者の隣で経営・人事戦略を考える立場にもあり、学生サークルの主宰・専門学校講師として学生たちの支援、地域コミュニティの運営をしています。また、暮らしを北海道というローカルに置きつつ、東京や他のエリアを横断。ALLY(アライ)という立場でLGBTQ+当事者の方々の支援もしています。
こうして、いくつもの「境目をまたぐ」ことで、それぞれの立場や視点をそれぞれに伝えることができ、そうすることで価値が生まれ、分断を修復する機会を創ることができました。

越境複業。
これが自分のやりたいことなんだな、そう思い至ったのです。

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これからも、暮らしはローカルで、仕事は全国から。
そんな働き方を広げるために。
様々な組織・地域・世代・背景を越境し、価値を繋いでいきます。
最後までご覧頂きありがとうございました。


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※えぞ財団仲間のお友達 たんぽよしみさんが書いてくれた他己紹介マンガ。めっちゃ素敵で泣けました。

※所属しているオンラインサロン「IN/OUT LAB」のメンバー紹介noteでご紹介いただきました。

(補足)越境複業しているプロジェクト・各種SNS

■自社HP・オンライン名刺
https://katawara.jp/
https://html.co.jp/sho_trip

■SNS・発信
●Facebook
https://www.facebook.com/sassyo23/
●Twitter
https://twitter.com/sho_trip
●LinkedIn
https://www.linkedin.com/in/shotrip/
●Instagram(ほぼプライベート)
https://www.instagram.com/sho_trip/
●Standfm(ラジオ)複業人事のひとりごと
https://stand.fm/channels/5e68f88b81d4e84e1f0b6108
●Youtube 複業人事のホンネ
https://www.youtube.com/channel/UC9YkBWZXsjYSsjo2UJmrCzQ

■主な複業・プロジェクト
●サツドラホールディングス株式会社(HRパートナー)

●グローヴエンターテイメント株式会社(人事次長)

●株式会社JobRainbow(人事顧問)

●株式会社YK(HRチーム採用担当)
https://yk-corp.com
●北海道北斗市 人材育成アドバイザー(コンサルタント)
https://www.city.hokuto.hokkaido.jp/
●札幌ブライダル&ホテル観光専門学校(客員講師)
https://www.sanko.ac.jp/sapporo-bridal/

●えぞ財団(運営事務局・チームえぞオフィス プロジェクトMGR)

・Twitter
https://twitter.com/ezozaidan

●学生クリエイターズコミュニティHello(運営管理)
https://hellosprtrue.wixsite.com/hello?fbclid=IwAR3WKbdVDCBxGyeEw3U4PUxWgiP9O7fG_0rE9b3ywWayaeOnNNUyvZNRrH8
・Twitter
https://twitter.com/hello_spr2020


ありがとうございます!サポート頂きました想いは今後のnoteやかたわらの活動で価値にしてお返しします🐻