タイムカプセルに入れられた音楽たち
私は文章にすることで仕事が成り立ってきたり、このnoteのおかげで繋がったご縁もあったことで、これまで文章によって様々な関係性を築いていくことができたと思っている。
自分の人生は自分の書くものによって形成されてきたという思いがあるから、あくまで「推し活」の中で起こっている出来事であって実生活にさほど大きな影響はないとはいえ、一定期間自分の気持ちをどこにも誰にも出さないことでゆっくりと澱のようなものが溜まっている感は否めなかった。
そろそろ、自分の気持ちの折り合いをつけるために書いておこうと思う。
私の推しは昨年9月のデジタルシングルリリースを経て、最近はトーク中心のyoutube活動を頑張っている。そして昔オーディション番組で共に戦った仲間たちとの対バンライブが4月に決まったり、現時点で本人から公式に発表はまだないものの6月に地方都市でライブサーキットに参戦することが決定している様子だ。
一つ一つの出来事はそれぞれとても喜ばしい。何より推しが元気で活動できていることが本当に嬉しい。様々な立場の人が彼のために動いているのだと思うし、本人も周囲に引き立てられながら仕事を続けているのだと思うと、たった一人で夜遅くに真っ暗な画面の中で囁き合うように交流していた時期を見ていたファンの一人としては、なんとも言葉にし難い感動がある。
それでも、それでも。
ある日を境に、奏でられなくなった音楽があり、見ることができなくなった動画がある。その一つ一つのことが、どうしても心に暗い影を落としている。
今でも思い出す。
新しい曲ができましたと、熱気でモワモワとするほどの小さなライブ会場で知った時の声にならない叫び。初めて聞く曲に肩を揺らし手を叩いた日のことを。
サポートメンバーと顔を見合わせながら奏でる曲と飛び散る汗。疾走感のある曲に合わせて揺れるペンライト。本人が横に立つグッズ販売で、希望のサイズが売り切れましたと、そんなお知らせすらも嬉しかったこと。
音源が公開され、文字となった歌詞を追ってあれはこういう意味だったのかと考察しあった夜。暗い夜にひっそりと新曲を流し、今回もまた新しい曲を作ってくれた、届けてくれたと安堵したこと。
ライブ中に知らない曲が3曲もあって、どうかこの瞬間が少しでも多く自分の頭の中に留まるようにと、瞬きすることすら忘れて目の前の光景を、音を、言葉を繋ぎ止めていたこと。
忘れられない、忘れるわけがない。
でも今、自分の記憶の中にしかないこの曲たちが、ポロポロと輪郭を失っていってしまっていることが、とてつもなく寂しい。
自分の記憶と鮮明に結びついていたはずの音楽が、今はどこにもない。
手から離れないように固く固く握りしめていた糸の先は行き先を失って、だだっ広い空間でふよふよと漂っている。
クラス替え、のようなものなのかもしれない。
大切な思い出をいつまでも思い返せるように、日付を書いてラベルを貼って、そんなアルバムを共有したかった相手が、何よりもその思い出を作り出してくれていたはずの本人が、まるでそんなものがなかったかのように、新しい友人たちと新しい生活を送っていることが。
そんな日々の中でいつしかアルバムもどこかに消えてしまって、もう自分一人で見返すこともできないことが。そして自分もまた、アルバムのない新しい生活に馴染んで行こうとしていることが、ただただ寂しいだけなのかもしれない。
ああ、本当に好きだったよ。
一曲一曲を。初めて聴いたその時に感じたこと考えたこと、あった出来事を含めて鮮明に覚えていることなんて、人生にそうそうないのだから。
だから、アルバムはタイムカプセルに埋めたと、今は思っている。
見えないけれどもきっとある。
その場所に毎日行くことはなくなったけれど、ずっとずっと覚えている。
まだ見ぬ未来に、掘り起こされることを待っている。