【もう】じっとしていられない子【我慢できない!】
「じっとしていられない子」と言われたことがある。
一番古く覚えている例が、小学校の入学式の日。
体育館での式が終わり、初めてクラスの教室に入って担任の先生がみんなの前で「はじめまして」の挨拶をしていた最中のこと。
私はふらりと席を立ち、手洗い場で水を飲み、さらにはトイレにまで行ってしまった。
教室の後ろでは他の親に混じって母が私を見ていたが、そんな私の突拍子もない行動に何の慌てる様子もなかったのを覚えている。
母の態度からすると、どうやら私のこういう行動は日常茶飯事だったらしい。
先生からしたら、クラスでの最初の挨拶の途中で堂々と抜け出されたわけで、きっと出鼻をくじかれただろう。
当時の私は全く悪びれる様子もなかったが、今ではさすがに「あれは失礼だったな」と反省している。
そんな経緯で、教師たちからは「じっとしていられない子」と見られていた。だが、ここで一つ反論したい。
私としては、子供ながらに「面白いか、面白くないか」を最優先として物事を判断していた。(文字にすると痛いヤツだが、これは今でも変わらない。)
正直に言えば、「大人の話はつまらない」。
少年だった私にとって、大人の話というのは聞く価値のないものがほとんどだったのだ。
ここで言う「大人」とは、年齢で言う「成人」という意味ではなく、形式的で当たり障りのない無味乾燥な話しかできない人、10分で済む話をわざわざ1時間に引き延ばすような人間だ。
限られた人生の時間をそんな引き延ばされた話に費やすなんて、子供の私からすると小学生のおしっこ以下だったわけだ。
だから「じっとしていられない」――つまり、じっとしている価値がないと判断して動いてしまうわけである。
そして、この「大人の話はつまらない問題」は、今となっても私にとっての悩みの種だ。
たとえば今日は会社で、火災や震災への防災意識を高めるため、同じフロアの10人ほどが集まって1時間程度の会議が開かれた。
避難ルートの確認といった本題が最初の15分ほどで終わると、残りの45分は「防災に関する意見交換」の時間になった。
ここからは、フロアにいるベテラン社員のじいさんのオンステージだ。
会社の設備にやたら詳しいのは彼の長所だが、話の本筋に入るまでが異様に長いのが難点だ。
周りの人は一応、話を聞いているような表情でじいさんの話に耳を傾けている中、私は隣の人に見えないようにパソコンのメモ帳を開いて、脳内で流れる「闘将!!拉麺男」のオープニングソングの歌詞を打ち込んでいた。
やってみると、冒頭の部分は少し難しいものの、サビの部分は意外とスムーズに打ち込めた。
「魂いま たからかに! かがやけ! ooh ooh! ラーメンマン!」と、サビの部分がピタリと決まってすごく気持ち良かった。
その後は自分しか居ないチャットルームに「ケツ十字キラー スパイダーマッ!!」と東映スパイダーマンの台詞を思い浮かぶ限り次々と打ち込んでみたが、あまりのくだらなさに一人で笑いをこらえながら、時間が過ぎるのを待っていた。
もちろん、一生懸命話しているじいさんには申し訳ないが、席を立たなかっただけ、少しは大人になった証だと思っていただきたい。
結局、何が言いたいかというと、「じっとしていられない子」がじっとしていられないのは、単に大人の話がつまらないことが理由の大半だったりするのだ。私もそうだが、案外好きなことには時間を忘れて集中できるので、結局のところ「好きか嫌いか」の話でしかないのだと思う。
なお、「つまらない話が長い」というのは、我々じっとしていられない界隈においては相当なGUILTYである。この話がつまらなくて長いと思われたら、もうそれはゴメンとしか言いようがない。
完